井上貴博アナと言えば「Nスタ」の顔として「報道」のイメージが強い。しかし今年4月からTBSラジオで初の冠番組「井上貴博 土曜日の『あ』」をスタート、5月には「伝わるチカラ」(ダイヤモンド社)を初出版するなど、新たな挑戦を続けている。テレビとラジオの違いに戸惑いつつ、ラジオで話し続ける井上アナに半年経ったタイミングで心境の変化などに迫る。

■テレビ脳からラジオ脳への変換に苦戦

――TBSラジオ「井上貴博 土曜日の『あ』」が4月にスタートしてから半年。どんな発見や変化があった?

井上:たくさんのメールやSNSへの書き込みをいただいて、もう感謝しかないですね。先々の企画を考えるのが楽しくて、1週間があっという間です。番組は7人で作っていて、寝食を共にしているくらいの距離の近さを感じます。7月に、録音放送の回がありまして、久々の連休だ!と楽しみにしていたら、土日で少し体調を崩してしまい寝て起きたら、週明け月曜日には治っているという、自分の身体のリズムに驚いています。今は土曜日の放送終わりから日曜日の休日が以前より充実するようになりました。


――スタッフの人数以外にも、ラジオとテレビの違いを感じることはありますか?

同じ生放送3時間でも、テレビとラジオではだいぶ違うなと感じています。テレビなら「このくらいかな」と終わるインタビューも、ラジオはもっともっと深く掘り下げられる。テレビの2倍、3倍のインプットが必要になります。そういう時間感覚を含め、テレビとラジオの違いを実感する日々です。
自分自身の身の回りに起きた出来事、感じたことを話すなど、ラジオはテレビとは比べ物にならないくらい自分をさらけ出す「面白さ」ゆえの、「難しさ」があると感じています。

――お客様の違いもある?

井上:ラジオのリスナーはまるでオーディションの審査員のよう。僕はずっと審査されている気分です。ラジオはテレビよりも、好きで聞いている人の割合が多いように思います。嫌いになったらザーッと離れてしまう。ものすごくありがたくて、ものすごく厳しい世界ですが、スポンサーさん、スタッフ、TBSラジオには、僕の名前を冠につけてくれた感謝と責任を感じています。これまで自分がしてきた選択を正解にするために、そして楽しみに聞いてくださる方たちのために、頑張っていくしかないです。

■徐々に企画が連動 手ごたえは感じているが、まだ始まったばかり。

――井上アナと言えば、『Nスタ』で報道キャスターとしてのイメージが強いが、ラジオで冠番組を持つというニュースは新鮮でした。なぜこのタイミングだった?

井上:入社から15年、たまたま報道をやらせてもらっていますが、実は今そのイメージをどうやって裏切っていこうかと考えています。ニュース番組で出ている自分の人間性は1割にも満たない。まだ9割出せると思っています。バラエティ番組の企画も考えていますし、人間の面白さはギャップにあると思うので、いろいろ挑戦して、皆さんのイメージをどんどん裏切っていきたいです。
僕が目指すのは「日本一の司会者」。先輩の安住紳一郎アナウンサーがバラエティからのスタートだったので、自分は生番組でいこうと。駆け出しの頃から、各現場のプロデューサーに直接アピールするなどしてきました。
「井上貴博 土曜日の『あ』」は自分で会社に申し出て始まった番組です。やるからには企画書の1文字目から携わりたくて、昨年夏頃からプロデューサーと一緒に動き始めました。

――立ち上げ時には、スポンサーやクライアントさんに井上アナ自らアプローチされたとか?

井上:番組作りの全てに関わりたかったので、ツテがあればツテを頼り、なければ自分でアポを取って、直談判しました。普通、局アナがそんなことをしたら会社に怒られるでしょうけど、この仕事は待っていてやりたいことができるほど甘い世界じゃないので、ゲリラ戦です。もともとビジネスには興味があるし、企業の方たちと交流すると、自分が知らない世界が知れて、とても勉強になるんですよ。
ラジオは、日本一の司会者を目指すうえで、自分を追い込むために「やりたい」というより、自分を追い込むために「やらなくちゃいけない」。トレーニングジムに行く感覚です。始めるまではすごく怖かったし、今も怖い。「朝ズバッ!」のようにまた半年で終わったら、やっぱり局アナはダメだよね、となってしまうから・・・

――半年近くたちますが、これまでの放送で嬉しかったことや、手ごたえなどはありましたか?

井上:例えば、先日、「あた梨ちゃん(あたりちゃん)」(ひょう被害にあった梨を割安で売り出したJAいちかわによる企画販売)の取材を放送した際、生産者の方から「多くの反響があって、ありがとうございました。」という連絡をもらった時はとても嬉しいかったです。こうした1つ1つの企画が、徐々に連動しつつある辺り、手ごたえを感じています。
ただ、街で話しかけられた際に「Nスタ見てますよ!」とは、言われることがありますが、「ラジオ聴いています」とはまだ、言われたことがないです。番組を多くの方に聞いていただけるよう1回1回の放送を自分自身楽しみつつ、楽しんでいただけるようにしていきたいと思います。

■ 37歳でようやくスタートラインに

――転機は、2013年、それまでニュース・取材キャスターを担当していた情報番組「みのもんたの朝ズバッ!」で、司会を務めていたみのもんたさんが降板し、キャスターだった井上アナが司会に抜擢された時だったという。

井上:みのさんからは、しゃべり、間(ま)、展開、スタッフとの向き合い方・・・全てを教えてもらいました。その方から受け継いだバトンですから、局アナで結果を残せることを証明しようと遮二無二やりました。でもその半年後に番組は終わってしまった。みのさんが築き上げたものを僕が半年で壊してしまった。言葉は悪いですが、アナウンサーとしての自分はそこで1回死んだと思っています。同時にその悔しさが、それ以降の仕事のモチベーションにずっとなっています。ただでは死なないぞと。自分にもっと商品価値があれば番組は続いたかもしれないので、とにかく自分の商品価値を上げることを考えるようになりました。
みのさんにはコロナ禍になる少し前にお会いする機会があり、そこでいただいた言葉は宝物です。「周りから『井上君、いいね』なんて言われているうちはまだまだ。『もう手に負えない』って言われるようになって初めて井上君の色が出る。孤独だけど、戦うんだよ」。それを聞いて、あぁ自分は間違っていなかった、戦い続けていいんだと思いました。

――戦い続けて、今目標のどの辺り?

井上:この4月から自分のラジオ番組ができたり、昨年のオリコン「好きなアナウンサーランキング」で9位に選ばれたり、入社15年目、37歳の今、ようやくスタート地点に立てたと感じています。局アナとしてどこまでいけるか、やれるだけやってみたいですね。
僕は、生番組のメインは局アナが取らなくてはいけないと思っています。そのためには甘い考えでは全然ダメ。タレントさんやフリーの方は結果を出せなければ切られますが、局アナは会社員という逃げ道がある。でも本来、同じ土俵に立つべきだと思うんですよね。それ相応の覚悟が必要。そして、局アナが踏み台のように捉えられているとしたら、それはひっくり返したい。むしろ局アナができないからフリーに逃げたくらいの風潮を作りたい。
自分を伸ばしていきたいと願う後輩たちが、少しでも戦いやすいよう、ロールモデルが作れたらいいなと思ってます。

――初出版の『伝わるチカラ 「伝える」の先にある「伝わる」ということ』(ダイヤモンド社)も売れ行き好調とのこと。この著書でご自身が伝えたかったことは?

井上:37歳の現在地。オンエア中に続けている実験や試行錯誤をまとめました。あとは、局アナとしてやりたいと思っている事、無謀ながらもテレビの報道を内側から変えたいと思っている会社員の想いを綴っています。

――最後に「井上貴博 土曜日の『あ』」の聞きどころを

井上:「あ」の議論のコーナーですね。ゲストをお迎えして、パーソナルな部分までじっくりお話を伺うだけでなく、テーマ立てした議論を一緒にすることによって、ゲストの方の人柄をより伝わるコーナーになっていると思います。特にももクロの佐々木彩夏さん、アーティスト小松美羽さんの回はじっくり話すことができ、個人的にもとても楽しかったです。また、リスナーの皆さんのメールをきっかけに、例えば「選択肢」を増やすって本当に大切なことだと学んだり、人との距離感を自分自身が改めて考えさせられたりとしています。この番組はYouTubeでアーカイブしているので、一度、開いてみて下さい。

プロフィール)
井上貴博(いのうえ・たかひろ)/TBSアナウンサー。1984年、東京生まれ。2007年にTBSに入社し、「朝ズバッ!」「あさチャン!」「ビビット」など報道・情報番組を中心に担当。現在「Nスタ」(月~金曜)のメインキャスターを務め、2022年4月からTBSラジオ「井上貴博 土曜日の『あ』」(毎週土曜日、午後1時~)がスタート。同年同月に「第30回橋田賞」を受賞。同年5月に著書『伝わるチカラ 「伝える」の先にある「伝わる」ということ』(ダイヤモンド社)を発売。