10万人“行方不明” 「絶滅収容所」の実態

報告書
「拘束された多くの人は目がえぐりとられていた」
「皮膚を焼いたあとに、野蛮な方法でその皮を剥がされた」
「針やネジなどを鼻や唇、耳、背中、手や足の裏などいたるところに刺された」
今回解放されたセイドナヤ刑務所。愛する家族や友人の姿を探す多くの人が集まりましたが、行方不明となっている10万人の市民のほとんどは、命を落としている可能性が高いとされています。
ナジャフさんのように生還できたのは、奇跡に近いのです。
多くのシリア難民が集うトルコ南部の町に住む老夫婦は、東部の町デリゾールで息子のオクバさんが逮捕されました。

息子が逮捕 アリさん
「(オクバは)仕事に行く途中に捕まったんだ。突然いなくなった。捜したけれど見つからなかった。警察なのか軍なのか。拘束されることはよくあるから、すぐに帰ってくると思っていた」
両親は、息子がいつか必ず帰ってくると待ち続けましたが、その時は訪れませんでした。オクバさんの幼い娘も、父が帰ってこない理由をどこかで理解しているのだといいます。

息子が逮捕 ヤスミーンさん
「パパがいなくて嫌だから、穴を掘ってぬいぐるみを埋めたの。『パパが刑務所から出てきたら掘り出して遊ぶの』『ぬいぐるみが掘り出されないということは、パパは死んだということなの』と言っているわ」
両親は「遺体でもいいから返還してほしい」と政府に求めましたが返答はなく、アサド政権が崩壊したいま、息子が奇跡的に生きているのか、埋葬されているのかも分かりません。
住んでいる街を明かさない条件で、取材に応じてくれたヌーラさんも幼い子供とともに拘束されました。

子どもと拘束 ヌーラさん
「私が検問所で拘束されたとき、息子は3歳でした。『鞄の中を出せ、なんだこれは、コーヒーを飲むのか』と聞かれました。何も悪いことはしていないのに。『誰から頼まれた、武装勢力に持っていくのか』と言われました」
ヌーラさんは自宅用に買ったコーヒーを、武装勢力に渡そうとした疑いで、突然拘束されたのです。
子どもと拘束 ヌーラさん
「椅子に身体を打ち付けられ、後ろで手を縛られて何度も平手打ちをされました。あまりに痛くて叫び、涙が出てきました。そして部屋に戻されました。息子が私の姿を見て泣くのです」

――何をされた?
ヌーラさん
「言えません。ムスリムの女性に対する罵倒です」
気丈に、笑顔で答えるヌーラさん。しかし、性的暴行を受けた心は、深く傷ついていました。
解放されたあと、ヌーラさんは行方不明だった弟を探すため、人権団体に接触。そこで見たシーザー・ファイルの一つの写真にくぎ付けになりました。

ヌーラさん
「前歯は虫歯があり欠けていたのと目を見て分かりました。特徴的な歯でしたので間違いなく弟の顔です」
家族が拘束され、拷問の果てに変わり果てた姿で、遺体すらも戻ってこない。これがアサド政権下での、シリア国民の日常となっていました。

人道支援団体「SSJ」山田一竹 代表
「全ての破壊行為の責任を負うアサド元大統領が、訴追されて裁かれない限り、被害者やサバイバー、遺族の方たちの痛みや苦しみ・怒りというのは、消えません。なので、そういった意味でも正義の追求というのは、今後シリアでは最も重要な課題になると思います」