亡くなっても故郷に帰れない人たちに思いを馳せる

参加者は、このあと3258人を祀る納骨堂を訪れ、故郷に帰ることができないまま亡くなっていった人たちに思いを馳せていました。

(参加者)
「(差別や偏見が)自分ごとになっていったら、だんだん減っていくかなと感じていますので、(周囲の人に)隔離施設の中でどういった生活をしたかなどを伝えていきたいなと思いました」

(邑久光明園 青木美憲園長)
「ハンセン病のことをよく勉強していただいて、入所者さん、退所者さんたちを取り巻く状況が少しでもよくなってほしいと思いますし、こういったことが2度と繰り返されることがない社会ができるようにご尽力いただけたら」

邑久光明園の入所者は、ピーク時の1943年は1171人でしたが、現在は50人まで減っていて、今後どのように人権侵害の歴史を伝えていくかが課題となっています。