「野球人生で誇れるのはトロフィーや賞の数でなく、反骨心」

実は、長嶋さんと高橋さんには、運命的とも呼べる、接点が・・・。
2000年の9月24日。シドニー五輪で高橋さんが金メダルをつかんだ日に、長嶋さんが率いる巨人もリーグ優勝を達成。奇しくも同じ日に二人は頂点をつかんでいたのです。それにとどまらず、翌年、高橋さんがベルリンマラソンで当時の世界記録(2時間19分46秒)をマークした9月30日に、長嶋さんは引退セレモニー。「大切な日」が重なることに、高橋さんは「勝手に縁を感じていた」と言います。

インタビューの途中、高橋さんがおもむろに1通の手紙を取り出しました。高橋さんは、長嶋さんにどうしても伝えたいことがあったのです。

長嶋さんから高橋尚子さんへの手紙
高橋:
これ覚えていらっしゃいますか。2003年11月の東京国際女子マラソンで、私が失速してしまって、負けてしまったときに、すぐに私の自宅にお手紙が届いたんです。

18年前、アテネ五輪の代表選考レースで敗れた高橋さん。レース後、しばらく立ち直れないほどショックを受けていたといいます。そこに届いたのは、7枚にも及ぶ長嶋さん直筆の手紙でした。

高橋:ここで読ませていただいても良いですが?

長嶋:いいですよ。

高橋:
私、どん底に落ちた時に(手紙に書かれた)この言葉に救われました。

『私にとって長い野球人生において、微かにでも誇れるものがあるとすれば それは トロフィーや賞の数ではなく、敵に幾度倒されても汚名をそそぐために逆境から再起しようとする反骨心だけだと、一人自負しています』

(長嶋さんは、無言で温和な表情を浮かべ優しく頷く)

高橋:
この言葉を頂いて、ずっと私も「ダメなとき、ダメで終わるんじゃなくて、必ず反骨心を持って、再起するんだ!長嶋さんの言葉を胸に刻もう」と思ってきたんです。

長嶋:
そのときの信念によってまた違うからね。5年、10年の間に全然、信念が変わってくることもありますよね。反骨心があればあるほど他の方向にいかない。

手紙に記された“反骨心”の字
“反骨心”・・・この言葉に「長嶋茂雄の生き様」が詰まっています。プロデビュー戦で、不滅の400勝、金田正一投手に4打席連続三振。その悔しさをバネにルーキーながら本塁打王と打点王を獲得。それ以降、不動の「4番・サード」として、巨人をV9(1965~73年)へと導き、黄金時代を築き上げました。

1975年、38歳で就任した監督としてのキャリアもまた、屈辱からのスタートでした。期待された監督1年目は球団初となるリーグ最下位。それでも監督通算成績はリーグ優勝5回、日本一2回と、その後の栄光は、やはり反骨心がもたらしたものでした。