旧日本海軍が管理する小禄飛行場だった那覇空港は、1944年10月10日に那覇の市街地などに壊滅的な被害をもたらした大空襲、いわゆる「10・10空襲」や、翌年の沖縄戦で、米軍の激しい攻撃を受けた。
その影響は今も残り、那覇空港事務所によると、今年に入って、宮崎空港の爆発事故が起こる前までに、機雷や5インチロケット弾など、7発の不発弾が見つかっていたという。

3日も、管制塔から500メートルの資材置き場で、米国製60ミリ迫撃砲弾1発が発見され、爆発の危険性はなく自衛隊によって回収された。国交省は、まだ不発弾が残っている可能性があるとして、那覇空港での磁気探査を進めるとしている。
▽斉藤鉄夫国交大臣
「航空機の運航の安全に影響を及ぼしかねない事案であった。必要な対応を行い、引き続き航空の安全安心の確保を図ってまいりたい」
沖縄戦から79年を経てもなお、負の遺産は私たちの足元に眠り続けている。