ただ、日を追うごとに火山灰にある変化が・・・。
佐藤さん:
「当初は火山灰も軽くて歩くのに支障もなかったんですが、途中から台風の接近で降雨になって泥ねい化してしまって、非常に困難な状況になっていました」
雨と混じり泥のようになった火山灰。
埋もれてしまい悪戦苦闘する隊員の様子も、当時の映像に残されています。

さらに10月に入ると現場には雪が降り、今度は火山灰が凍りつきます。
佐藤さん:
「凍結してしまったら棒は(地面に)入らなかったので、スコップで掘り返す作業に変わった」
不安定な天候も追い打ちをかけ、中断を余儀なくされる日も相次ぎました。
捜索を何度も阻まれる状況に県警の淺岡さんは、当時、心境をこう述べていました。
淺岡さん:
「率直な気持ちは歯がゆい。2次災害を出してはいけないというところで、現場指揮官はとても判断に悩んでいる」
そして、発生から20日経った10月16日。
阿部知事:「断腸の思いではございますが、大規模な捜索救助活動につきましては、本日を以って終了するということを決断いたしました」
20日間にわたって行われてきた救助捜索活動は、2次災害の危険性が高まったことなどから、打ち切りに。
延べ1万5000人が活動に当たり、11人を救出、56人の遺体を家族のもとに返しましたが、6人が行方不明者として現場に残されることになりました。
翌日、現場を後にする隊員には涙も。
現場の過酷さが伝わってきました。
翌年の夏、9日という期間限定で行方不明者の再捜索が実施されます。
淺岡さんは中隊長として、再び現場に向かいました。