大正2年生まれの“同級生”は

現在の山口市小郡に生まれた粟田さん。子供の頃はおてんばで「ちぃちゃん、ちぃちゃん」と可愛がられていたそうです。22歳で結婚。3人の子供に恵まれるも、1944年・昭和19年、夫・清さんが他界。千年さんは、当時31歳。そこからは一家の主です。農業などで生計を立て、3人の子供を立派に成人させました。そんな千年さんの教え。それが「物事を善意に解釈すること」。

粟田さん
「善意に解釈する、一番の根源は自分が悪いことはしない事が根底にある。子供の時によその田んぼを通って、小郡の駅まで行った。その時でも、よそのあぜを踏んじゃいけん。ここにもおばあちゃんやらおじいちゃんが一生懸命田んぼ作っているから、悪いことはしちゃ、いけん。それと小さいとき、おばあちゃんにお寺へ連れて参ってもらった。そのおかげかもしれませんね。とにかく、私の人生を一言で言って、幸せな人生だったと、感謝しています」

と、ここで。

小田アナ
「千年さんの同級生を連れてきたというか、持ってきたので」
粟田さん
「はっ?」

大正2年生まれの同級生3人、いや3つ ご紹介します。まずは1つ目。辞書の広辞苑でお馴染み、岩波書店も大正2年生まれらしいです。広辞苑が出たのは後ですが、その出版社である「岩波書店」が生まれたのは、大正2年です。

粟田さん
「同じ年なの?あぁそうですか、何かの因縁ですね。あはは」

続いては、トンボのマークでお馴染み「トンボ鉛筆」。

これも大正2年生まれなんです。鉛筆製造元の大手。MONO消しゴムや 修正テープでおなじみ、「株式会社 トンボ鉛筆」も大正2年生まれ。文具を見て千年さん、甘酸っぱい青春時代を思い出します。