道の駅の料理長になったのは「知ってほしいから」

西さんが作る、サッカー日本代表の料理には試合前のルーティンがありました。

【試合3日前】⇒「銀だらの西京焼き」
【試合2日前】⇒「ハンバーグ」
【試合前日】⇒「うな丼」

どのおかずも、大事にしていたのは「ご飯がすすむこと」。主食をしっかりとることで、日本の強みである、スタミナを養う狙いがあったといいます。

西 芳照さん:
「炭水化物をたくさん取って、サッカーですと90分間走りぬくことができる。選手の皆さん、人によってはハンバーグ200グラム位のを5個食べて、ご飯も大盛りで2杯とか」

代表選手たちが大きな信頼を寄せていた西さんですが、A代表シェフを引退し「道の駅なみえ」の料理長になったのにはある理由がありました。それは、故郷・福島の復興ー。

福島第一原発から約10kmのところにある浪江町は、かつては約2万1000人が暮らしていました。しかし、東日本大震災から13年経っても町の75%が帰還困難区域のまま。住民は2200人ほどしか戻ってきていません。

2023年に浪江町に戻り飲食店を経営する20代の女性も「生活するうえでは不便なことが沢山ある」と口にします。

仕事で浪江町に暮らす男性(60代):
「移住を考える人もいると思うけど、それには働く所とか病院とか、生活に必要なものが充実してこないとなかなか住みにくい」

西さんの地元、隣町の南相馬市も被災しました。そんな中、町を活気づける復興のシンボルとして、2021年に誕生したのが「道の駅なみえ」でした。

少しずつ人が戻り、産業も復活。ブランドタマネギ「浜の輝」や、海の特産品シラスなどが獲れはじめると、当時の日本代表選手から“自分たちが食べればPRになるから”と、「福島の食材を使って代表の食事を作って欲しい」と申し出があったといいます。

そして、西さんも地元の復興に繋がればとの思いで、道の駅の総料理長に。

西 芳照さん:
「駅長の方から、『もっとたくさんのお客さんにきてほしい。そのために力を貸してください』と言われて、ここで一緒に働くことによって地元の人たちとまた改めて頑張って行こうと」

西さんは今、“新たなこだわり”を持って料理を作っています。

西 芳照さん:
「頑張っている人たちがいるんだという事を知って欲しいし、地元の食材比率を上げて、食べに来た人に“浪江の食材ってこんなにいいんだよ”“こんなに美味しいんだよ”とどんどん発信していきたいなと思います」

(THE TIME,2024年9月3日放送より)