五輪がプロ化した経緯 実は「東西の冷戦」が大きく関係

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 プロ選手がオリンピックに出るようになった理由は、東西の冷戦です。社会主義だった東側のソ連や東ドイツは、国を挙げて報奨金も早くに出して選手をどんどん強くしていきました。資本主義の西側諸国はスポーツのプロ化が進み、バスケットボール・テニス・サッカーなどでプロリーグができました。

 プロ選手はオリンピックに出場できないとなると、争ったときに勝つのは東側が多くなっていきました。そうすると、1950年代のオリンピックでは“「資本主義」対「社会主義」で勝つのは社会主義”というプロパガンダにオリンピックが利用され始めます。これに対して西側もトップ選手を送り込んで、オリンピックを世界一の大会にしたいということで、プロ化を解禁せざるを得なくなったのです。
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 「運営」「政治から独立」「冷戦」などの理由で、1984年のロサンゼルスオリンピックから商業化もプロ化もしていきます。各競技団体ごとにプロ選手が出場可能かどうかが異なります。

 ただ、一方でスポンサーの選定は厳しく、オリンピックの考え方に合っている企業だけにするとなっていて、パリのトップスポンサー14社のうち日本が3社となっています。それに加えて、サッカーでは23歳以下と年齢制限があります。オリンピックの理念では差別は禁止になっているため年齢制限も本当はしてはいけません。しかし、プロ化するにあたり、FIFAというプロサッカー連盟が主催する世界一の大会「ワールドカップ」があります。オリンピックを世界一の大会にするとワールドカップの地位が下がってしまうため、その兼ね合いで年齢制限を設けてオリンピックを行っているのです。