幻となったオリンピック そして悲劇がー

子どもの頃に泳いだプールのあった浜名湖の入江を訪ねた古橋さん(1979年・昭和54年)

古橋が学童新記録をマークしたその年、東京ではオリンピックが開かれるはずだった。しかし、日中戦争の長期化を理由に政府は開催権を返上。東京オリンピックは、そして古橋少年の夢は幻のものとなった。

「こりゃひどいことになったなと。もうそれからだんだん、もちろん頭の隅っこにはオリンピックだのやれ日本一だのっていうのはありましたけどね。もうそれどころじゃなくなっちゃったんですよ」

浜松二中に進学した頃、プールの水は空襲に備える防火用水となり、もはや泳ぐためのものではなくなった。学徒動員により、軍需工場で高射砲の弾丸を削る毎日。そして、悲劇は起きた。

「3年生の時に、旋盤の機械に挟まれちゃいましたね。指を怪我しちゃったんですよ。絡まっちゃって、がりがりって機械の中入っちゃったんですよ、指が。いや、もう泳げないと思いましたよ。もう泳げない。もう指がないわけですから」

左手中指の第一関節切断。水泳選手にとって、何よりも大切な指を1本失ってしまった。指がなければ水が逃げてしまう。指は水の中でスピードを出すために絶対に必要なものだった。

やがて、戦争は終わった。日本人は皆、夢や希望を失い、ただ彷徨うだけだった。
古橋もその1人だった。

「ちょっと口じゃ喋れないほどの、何て言うのかな、心境ですよね、当時は。だから今の人に話してもわかんないし、他人に話したって全然わかんない。自分でそんなこと言うのもあれだけど、そういう意味ではいろんな体験しましたよね」