新潟シティガイドの渡辺博さん(80歳)さんは、これまでに調べた“戦争の記憶”を後輩のガイドに引き継いでいます。
【後輩ガイド 島垣二佳子さん】
「渡辺さんが、これを風化させてはだめだと、8月10日のこういう状況があったというのをみんながわかってなきゃいけないと、ものすごい切々と語ってくださったんですね。それで少しでもお手伝いができればいいなと」

新潟市が米軍機16機の襲撃を受けた8月10日のツアーには今年、様々な世代の25人が参加。最初は、水戸教公園で新潟市が開催する献花式に臨みます。
1945年8月10日、新潟市はアメリカ軍の空襲を受け47人が犠牲となりました。
空襲を受けた際に唯一応戦したのが、新潟港近くの浅瀬に乗り上げていた軍用船・宇品丸(うじなまる)。乗組員19人が犠牲となりました。

ツアーは、水戸教公園での献花式のあと、中央区の船見町にある『宇品丸慰霊塔』に向かいます。渡辺博さんが話を伺ったあの西野留蔵さんらが、空襲で犠牲になった人を追悼するために自費で建てた慰霊塔です。

米軍機は宇品丸への攻撃で弾丸をほぼ使い果たしたため、市街地の被害は最小限に抑えられたと、慰霊塔の脇にある説明文に記されています。
【ツアー参加者】
「身近なところでそういったことがあったっていうのが、やっぱり知らなかった」