ナショナリズムを喚起する五輪

神戸:そこまで聞いて、やっと気づいたんですけど、この人はスポーツを楽しんでいるんじゃなくて、ナショナリズムを満足させるために五輪を見ているのではないか、と。目の前でそういう話を聞いたのは初めてだったので、びっくりしました。試合そのものじゃないわけですよ。国籍が大事で、日の丸や君が代が大事なんでしょうね。確かに、ヒトラーのベルリンオリンピック(1936年)が象徴するように、国威発揚のためにはオリンピックはものすごく効果的で、独裁者にとっては非常にいいイベントでもあります。国歌が歌われ、国旗が掲揚されるのを見て、誇らしく思う気持ちが湧き上がるのは当然だろうと思うんです。でも「それが目的じゃないよね」という点は何度も見てきたと思うんです。

神戸:私が生まれる前ですが、前回の東京五輪(1964年)でマラソンの円谷幸吉選手が負けました(銅メダル)。その数年後、彼は自殺してしまうんですが、国を背負うことの重さみたいなものが選手をつぶしてしまうこともあるわけです。そういうことを踏まえてスポーツを見る時、ナショナリズムについてどこか少し抑制的になっていた方がいいと思う人たちは、以前それなりにいたと思うんです。

話が通じない恐ろしさ

神戸:気持ちよくなる面ももちろんあるんだけど、危なさみたいなことも考えながら、「日の丸を背負っていたのに、負けてしまって本当に申し訳ない」と泣かれても、「いや、そんなことは考えなくていい、頑張ったんだから」と言いたいんですよね。日の丸のためにやっているわけではなく、それは結果であって、スポーツは、自分の肉体の限界に挑む成果を発揮することに意味があるし、そこに僕らは胸を打たれるんだろうと思うんです。そこには勝敗は必ずあるわけで、負けてもものすごく心に残る試合って、ありますよね。浅田真央さんのフィギュアスケート、「勝っていたらもっと記憶に残った」と言う人もいるかもしれないけど、負けたシーンならではの美しさみたいなものを感じます。

神戸:負けたことをもって「この野郎、負けやがって」と憎しみのような感情が巻き起こるのは、非常に危険だなと思ったのです。こういう人は意外といるかもしれません。僕はちょっと与(くみ)せないですね。「勝ったからこそ、すばらしい」「国歌を歌えた、国旗をあげたからこそ、この人に感謝する」という人もいるんでしょうね。でも、この人はいつもとても優しくていい人なんですよ。オリンピックがあると、誰でも持っているナショナリズムみたいな心、「誇らしさを誇りたい」という気持ちがすごくあおられることは必ずあると思うので、ちょっと気をつけなきゃいかんなあ、と知り合いの話を聞きながら思いました。「選手に憎しみとか、僕は全く考えないですよ」と言ったんですけど、会話が成り立ちませんでした。ナショナリズムは、これが怖いんですよね。

◎神戸金史(かんべ・かねぶみ)

1967年生まれ。毎日新聞に入社直後、長崎支局で雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。ニュース報道やドキュメンタリーの制作にあたってきた。23年から解説委員長。最新の制作ドキュメンタリーは、『リリアンの揺りかご』(8月12日午後2時56分からRKBテレビで放送)。