「10分おきくらいに来ていた」地域を支えた路線の今

県内外に熱烈なファンもいる市電。かつては藤崎宮の前も走っていたほか、河原町から世安などを経て川尻へと向かう『川尻線』がありましたが、路線の老朽化や赤字のため廃線となりました。

1965年、川尻線の運行最終日の映像には、万国旗を飾りつけた花電車が『永い間お世話になりました』と市民に別れを告げながら走る様子や、名残惜しそうに車両に手を振る人々の様子が残されていました。

今は、川尻町電停があった場所に記念碑があるだけです。

記者「現在は車道となっている道に、当時は市電が走っていました」

川尻地区の住民「もう残っているのはこれしかないですね。ひっきりなしに来ていた。だいたい10分おきぐらいに電車は来ていましたしね」