パリ五輪に出場する安芸高田市出身のカヌー・岡崎遥海選手。29日、いよいよ大舞台に挑みます。夢を支えた両親に話を聞きました。
カヌー・スラロームで初めての五輪に出場する岡崎遥海(おかざきはるか)選手。岡崎選手は安芸高田市吉田町出身の26歳で、現在は東京の企業に所属し、競技に専念しています。
激流のなかゲートを通過しタイムを競うスラローム競技は、パドルさばきに力強さと繊細さが求められます。
安芸高田市の自宅で岡崎選手の両親が取材に応じてくれました。

母・理香さん
「(遥海選手から)電話があって『ビッグニュースがあるんだよ』みたいな。『なに?』って聞いたら『五輪にでられるかも』って」
父・正喜さん
「今もあんまり信じられん。周りの人が『おめでとう』って言ってくださるんで、本当に出るんか?みたいな感じで」

小学1年生でカヌーに出会った岡崎選手。小学3年生で本格的に競技を始め、腕を磨きました。全国各地で行われる大会にはキャンピングカーで駆けつけました。
父・正喜さん
「夜通し運転して次の日の練習までにつくような感じで、着いたら運転手はすぐ寝てしまうような」
小学生6年生で全国優勝を果たし、中学生になると練習はさらにハードに。
ホームグラウンドは自宅近くの江の川でした。

母・理香さん
「朝練、そこの近くの川で朝から練習して学校行って帰ってきて、また練習に行っていた」
父・正喜さん
「自転車で学校から帰って来て。パドルを持って川に下りて一人で練習をやったり」
さらなる練習環境を求め、山口県の高校に進学。活躍の舞台は世界に広がりました。一方で、道具や遠征には年間数百万円の費用がかかったといいます。
母・理香さん
「カヌーの方を優先にお金をなんとかやりくりして…」
両親の思いを感じ、岡崎選手自身も競技への支援を訴えました。
岡崎遥海選手(高校生当時の映像)
「カヌーは競技人口がまだまだ少なく、個人の力では難しいことできないことがたくさんあります。どうかカヌーをもっとたくさんの人に知ってもらうために私や私の仲間の夢を叶えるために皆さんの力を貸してください。よろしくお願いします」
大会では悔しさから一人涙を流す場面もあったといいます。
父・正喜さん
「本当に悔しかったら涙が出ますからね。やっぱりそういうのを見たときに『本気』が伝わってきましたね。自分たちの夢が”子どもの夢を応援すること”みたいな感じになってきたんですよね」

三次市にあるカヌー公園。岡崎選手が初めてカヌーと出会った思い出の場所です。
父・正喜さん
「カヌーを始めたとき、ボートから自力で抜け出せないと自艇に乗ってはいけないとインストラクターから言われ…真冬に雪が降る中、インストラクターの方が水に入って遥海さんをひっくり返そうとするんですけど、遥海は泣きながら『怖い怖い』と。それを1時間ぐらいやって、やっとひっくり返って自分で出ることができて『よく頑張った』と褒めてもらった。もう泣きながら。そういうことを思い出しますね」
小さな女の子は20年後、ついに夢の舞台に上がります。
激流に逆らい、前へ前へ。「アップ、アップ(ペースを上げろ)」―。
両親はいつも岡崎選手にエールを送り続けました。
Q.江の川がパリにつながってますね?
父・正喜さん
「つながってますね、“江の川からセーヌ川”ですよ」

岡崎選手の母校・吉田小学校には、小学生の岡崎選手が描いた自画像がいまも飾ってあります。「カヌーで五輪に出場する」自画像にはそんな将来の夢も書かれていました。
父・正喜さん「書いてあるのは覚えていたんですけど、でもそれが本当に現実になるとは。ねえ」
28日、両親は広島空港からパリへ向かいました。2人とも遥海選手の写真がプリントされたおそろいのTシャツを着てのフライトです。
父・正喜さん
「悔いの残らない漕ぎ、自分のパフォーマンスを最大限に表現してもらえたら。それを願っています」

パリで両親も見守るなか、岡崎選手は激流に挑みます。夢を乗せたカヌーは30日に出航します。