両親を安心させたい そしてチャンスが訪れた

障害のある自身を支え続けてくれた両親。そんな2人を安心させたい...チャンスは高校2年生のときに訪れました。

1964年、東京オリンピックの年。竹内さんはパラリンピックの日本代表に選ばれたのです。

・・・「これまで3回死にたいと思った」と講演で語ってきた竹内さん。そのうち「小学校時代のいじめ」「失明による挫折」の2つの苦難を乗り越えました。

東京パラリンピック出場が決まったこの年、竹内さんは父に対して涙を流す出来事がありました。

【第5話】「人生は思うように行かない...でもそこで全力尽くせ」に続きます。

【第1話】「自殺するな 辛かったら逃げてもいい 死なずに待て」
【第2話】「これまで3回死にたいと...でも生きててよかった」
【第3話】「いじめで死ぬくらいなら...大騒ぎして周りに訴えろ」

※竹内昌彦さんが理事長を務める、手術さえすれば目が治る子どもたちを支援する「ヒカリカナタ基金」はこちらです。https://www.hikarikanata.com/