かつて若い世代に人気だった「ユースホステル」は、現在、減少の一途をたどっています。こうしたなか、今年6月、宮城県内では44年ぶりとなる新しいユースホステルが柴田町にオープンしました。経営者夫婦の思いとは?

「はい!ウェルかも船岡です」

今年6月にユースホステルを柴田町に開設した加茂弘之さん(65)です。自宅を改装して完成した「ウェルかも船岡ユース・ホステル」。2人部屋と3人部屋合わせて3室に宿泊できます。

加茂弘之さん:
「天井から壁からかなり大胆にリノベーションした。ゆっくりと休んでもらえるように、しっかりとした寝具なりベッドを置くようにした」

団塊世代が20代だった1970年代に若者向けの宿として大人気だったユースホステル。相部屋に格安で泊まり、様々な人と触れ合えるのが魅力で、加茂さんも高校生の時にユースホステルに出会いました。

加茂弘之さん:
「みんな対等な大人として関わってくれたことと、いろんな旅の話とか旅のやり方とかを教えてくれたことが印象的だった。いろんな人と出会って触れ合って、旅の世界にもこういう場所があるんだなということを強く感じた」


妻の潤子さんと二人三脚で切り盛りする加茂さん。潤子さんの出合いもユースホステルでした。
20代の頃にスタッフとして勤めていた神奈川県箱根のユースホステルが2人の縁を結びました。

妻・潤子さん:
「私も高校生くらいの時からユースホステルは使ってて、たまたま箱根のユースホステルに泊まって、そこがきっかけで結婚した」


加茂弘之さん:
「食事一つにしても、出来れば地産地消、それから旬のものを使って、連泊しても飽きないようなメニュー作りを妻としてもいろいろ仕掛けをしている」


30代で地元の宮城県に戻り、会社員などを経て、おととしの定年後、長年の夢だったユースホステルのオープンを決めました。

加茂弘之さん:
「いつかは自分で経営したいという思いがあったが、残りの人生を考えた時に、ついの住みかとしていい場所、来る人にいい所だという思いを分け与えてもいいのではと」


仙台市内で半世紀にわたりユースホステルを経営し、県協会の理事長も務める飯塚和宏さん(76)です。

加茂さんは高校を卒業して就職するまで一時、飯塚さんのユースホステルを手伝い、その後も交流が続いていました。飯塚さんも今回のオープンを喜んでいます。

飯塚和宏さん:
「自分の最後の人生を自分のためだけじゃなくて、次の人、旅人のためにということで、こういう施設を開いてくれるのは、とても力強いと思います」


ピーク時には、10か所あった県内のユースホステルも、現在は「ウェルかも船岡」を含め4か所。全国でも1970年代の587か所の4分の1まで減っています。



飯塚和宏さん:
「利用者も少なくなっているが、それなりに好きな人はいるし、それなりの固定客もずっといる。あそこはこういう景色がいい、こういう時間に行くといい、みたいな情報がたくさん入ってくる、旅の情報が泊まった人同士で話すことでもらえるのがユースホステルの良さ」

「お久しぶりです(笑)」




この日は、かつて働いていたユースホステルでの知り合いが奈良県から加茂さんを訪ねてきました。30年ぶりの再会です。

加茂弘之さん:
「ここの土手に白石川があって、そこにきれいに桜が6.7キロ」

知人:
「へ~、そんなに長く」




潤子さんが作る夕食をゲストと一緒に食べるのが、ここのスタイルです。

加茂弘之さん:
「変わり者だといわれます」


妻・潤子さん:
「でもどん底からやれば、これ以上悪くはならないということはあったけど、さらに加速度的にコロナも増えていて、『どん底でもないね』みたいな。小さいながらも、一つくらいは辞めないで、新しいのが出来たという旗を立てたかった。それでスピードを止めるまではいかないけど、遅くするくらいはできるかなと」


コロナ禍という逆風のなかでのユースホステルのオープン。それでも、オープン以来、山口県や東京など全国から宿泊客が訪れています。

妻・潤子さん:
「40年前くらいに若かった人がずっと今も続けて使っていただいていて、それはありがたいが、やっぱり若い人たちが使わないと、このあと続いていかないというのは心配なところではある」


加茂弘之さん:
「コロナ禍での行動や考えもある程度経験しているので、僕たちにとってはある程度そういうことを熟知した中での開業なので、ゲストに使ってもらえる工夫や思いを伝えていくことが、まず私たちの努めなのでは」


様々な出会いを生み出すユースホステル。長年の夢をかなえた加茂さん夫婦は、かつての自分たちのように、多くの若い世代にも利用してもらえる日が来ることを願っています。