日本一過酷と言われる山岳レースがある。

富山県魚津市の早月川河口をスタートし、静岡県静岡市の大浜海岸のゴールまで、日本海から太平洋まで日本アルプスを縦断するトランスジャパンアルプスレース(略称はTJAR)だ。総距離は415km、累積の標高差はおよそ27,000メートルにも及ぶ。8日間以内(192時間)の制限時間が決められていて、ゴールを含めて5ヶ所に関門が設けられている。



日本一過酷といわれるのはコースの険しさや長さだけではない。レースで設けられるエイドやサポートはなく、自らテントを担いで縦走し、事故やトラブルにも自分で対応しなくてはならない。全てが自己完結を求められるのだ。以前は山小屋で食事を取ることも許されていたが、コロナ後はそれも禁止された(山を降りて店での食事は許されている)。

しかも、出場できるのは厳しい選考会を勝ち抜いた30人だけ。

富山県からは3人が出場する。その中に54歳の稲崎謙一郎がいる。
ゼッケン番号は28番。年齢順に番号が振られるため、選手30人中、3番目に年上だ。



8月4日。まだ夜も明けない午前4時半。富山県滑川市の運動場に稲崎が現れた。
7年間、地元のランニングクラブの週2回の早朝練習は欠かさず参加し続けてきた。



クラブMSR代表・石倉勝
「トラックのスピードはそんなにはないですけど、登りのスピードはチーム中では一番強い」



4日後に控えたトランスジャパンアルプスレースに向けて、仲間たちがエールを送る。

練習が終わると、稲崎は運動場に近い自宅に戻る。この自宅は、もともと大工だった稲崎自身が手作りで建築したものだ。帰宅後にやるのは自分と父親の弁当作り。弁当や洗濯など自分でやれることは自分でやるというのが、妻・美也子との約束だという。

稲崎
「(何を作ってるんですか?)焼きそばですね。焼きそば。365日ですね」



稲崎は一度いいと思ったものには、徹底的にこだわる人間だ。昼食は毎日、焼きそば。それを食パンに挟んで、ワンタンスープとともに食べる。

稲崎
「事務所の女の子が後ろ通るとまたかって笑います」

稲崎の職場は住宅建材の販売リフォーム会社・三協テック。富山中央店のリフォーム課の責任者を務めている。職場には、同僚が作った「TJAR稲崎謙一郎めざせ!!完走」の張り紙があった。会社からレースのための食料費の補助をしてもらった。



稲崎が朝礼で、トランスジャパンアルプスレースに参加する際の職場での対応について話し始めた。急ぎの客には職場で対応するようお願いしたが、レース中も電波が通じるところでメールをチェックするという。

稲崎
「1週間長丁場のレースで、携帯電話のつながらないところをずっと歩いていきますから、携帯電話繋がるところでメール確認しますので、そこで指示を出していきたいと思っております」


稲崎の仕事は、リフォームの現場監督と営業。1か所ずつ現場を回って、作業の進展をチェックしていき、職人と会話を交わす。相談の電話もひっきりなしにかかってくる。しかし、軽トラックで現場を移動する間も、レースのことが頭をよぎる。

稲崎
「僕は54歳。(出場する選手は)30代から40代が一番多いんですかね。僕の上に60歳の北海道の選手、それと62歳の福井県の選手は、過去に完走している人です。関東の選手は強いですね。ぼくらは、冬場は(雪で)まず走れないですよね、まともに。その点ちょっと不利というか」



稲崎は兼業農家で、土日も朝からは練習できない。空いた時間や夜に練習を重ねてきた。
仕事が終わる午後9時から走り、週末は山を登る。月間の走行距離は450キロに及んだ。

自宅に帰る際、車窓の向こうに、レースで最初に登る剱岳の大きなシルエットが浮かび上がった。もうすぐあの山を越えて、日本アルプスを縦断しながら太平洋まで415 kmもの想像を絶する距離に挑むのだ。



なぜこれほど過酷なレースに挑むのだろうか?妻の美也子は。
妻・美也子
「好きなものを追いかけている人ですね。その前も夢中になるものがいっぱいあったので
うらやましいです」



稲崎がこれまで夢中になったのは、自転車やトライアスロン、サーフィンだった。
しかし10年前、44歳の時にトランスジャパンアルプスレースをテレビで見て心を奪われた。以来、10年間、仕事以外はこの大会に出場することだけに集中してきた。



トランスジャパンアルプスレースはサバイバルの要素を加えた山岳レースだ。参加条件はフルマラソン3時間20分以内、ウルトラマラソン10時間20分以内、山でのテント泊の経験に加えて、危機管理能力を問う厳しい選考会が設定されている。


今大会には70人が申し込み、書類選考を通過した59人が、南アルプスの仙丈ケ岳で行われる1泊2日の選考会に挑んだ。テント張る技術や筆記試験もある。コース上に記された場所を、地図上にマーキングして正確な位置情報を書いて提出しなくてはならない。山で一人でも生きぬく能力が問われるのだ。

稲崎
「これは(過去4回の)選考会のゼッケンですね。2016年、2018年、2020年、そして今回2022年。ようやくですね」



2016年の1回目の選考会は経験が足りずに落選した。その後、稲崎は長男を連れて初めて剱岳に登り、選手たちを応援した。

稲崎
「1回目までは応援に行けました。2回目からは悔しくて、年々落ちるたびに悔しさが倍増してきて、スタート地点の魚津市にもいけませんでした」

落ちるたびに悔しさが募っていったという。2回目の選考会は、大荒れの天気に対応できずリタイア。3回目はツェルト(簡易テント)を決まった時間以内にたてられず失格。4回目にして出場権をつかんだ。

さらに、出場する選手には、30項目近い必携品が定められている。食事もチェック項目の一つ。稲崎が大会期間中に食べるのが、柿の種とカロリーメイトだ。これを歩きながら食べる。そして夜と朝には味噌汁とご飯で雑炊を作って食べる。




泊まるのはツェルトと呼ばれる一人用の簡易テントだ。選考会では、これを4分以内にたてることが求められている。しかも、ツェルトのてっぺんを3キロのバネ計りで4方向から引っ張り、倒壊したら失格になるという。稲崎は慣れた手つきで、あっという間にツェルトをたてて見せた。


妻・美也子
「2分20秒。合格ですね」
稲崎
「一週間これが僕の家になります」

また、スピードを上げるには徹底した軽量化も欠かせない。ザックの総重量は水を入れて7、8キロに抑えたい。寝具はわずか156グラムのシュラフカバーだ。

稲崎
「餃子の皮みたい。こんなものにくるまって。寒いです。結局、装備を減らすということは。リスクがついて回ることなので、僕は、これ以上は減らせないですね。怖い目に何回も遭っているし、寒さとか、低体温とか」


2回目の選考会では、大雨の中、レインウェアを着るタイミングが遅れて全身ずぶ濡れとなり低体温状態となってしまった。山の恐ろしさを稲崎は痛いほど味わっている。
過酷なレースに向かう夫について、妻・美也子に心配はないのか。

妻・美也子
「楽しめればいいんじゃないですか。本当に貴重な体験として。一生の思い出だし」
稲崎
「もう若くないんだから、これで最後のチャレンジになると思う」