パリ五輪では10位を、世界陸上東京では入賞を目標に

そんな青木も一時は、3000m障害をやめることも考えたという。

「限界を感じてやめると、ちょっと言っていた時期もありましたね、若手(三浦)の台頭も重なって。東京五輪に若い段階で出られたこともあって、今5000mに転向すれば、という思いもありました。本当にまずいと思ったのは世界陸上オレゴンのときでした。まったく歯が立たなかったので、どうしようかと思いました」

青木選手(日本選手権)

青木の大学4年(19年)以降のシーズンベストと、各シーズの主要大会戦績は以下の通りである。

◇19年:8分32秒51 日本選手権3位
◇20年:8分25秒85 日本選手権3位
◇21年:8分20秒70 日本選手権3位、東京五輪予選2組9位
◇22年:8分20秒09 日本選手権2位、世界陸上オレゴン予選3組11位
◇23年:8分20秒54 日本選手権7位、世界陸上ブダペスト決勝14位
◇24年:8分24秒12 日本選手権1位

21年以降の日本選手権は三浦が勝ち続け、国際大会でも三浦は21年東京五輪で7位、23年世界陸上ブダペストで6位に入賞。21年に8分09秒92、23年に8分09秒91と世界トップレベルの日本記録をマークした。

三浦不在のことを「鬼がいぬ間に」とユーモアを交えて話したが、優勝記録の8分24秒21は青木の自己記録の8分20秒09とは4秒差。「今の状態で8分24秒なら、100%の準備と練習ができれば8分15秒はクリアできる位置にいるのでは」と、今後の自身に期待している。

「東京五輪では何もできなかった苦い思い出があります。そこから歯が立たなかったオレゴン、14位のブダペストと、良い道を進んでこられた。パリ五輪では3年分の思いを力として発揮したいですね」

パリ五輪出場が実現したら「10位以内」を目標とする。

「自分は一気に伸びる選手ではありません。10番でも高い目標なのですが、そこをしっかり目指すことで、来年の世界陸上東京につなげることも大事にしていきます。世界陸上では入賞を目指したいですね」

青木が3000m障害を走り続けている理由の1つに、三浦だけでなく、この種目自体を世界に近づけていきたい気持ちがある。

「三浦くんだけでは背中が遠すぎます。僕がこの(2番手の)ポジションにいることで、若手が目指す背中になれます。自分はこのポジションをしっかり確保しつつ、三浦君の背中を追っていきたい」

今回の日本選手権でも、2位の柴田と3位の新家は自己記録を大きく更新した。ラスト1000mを青木が2分42秒でカバーしたが、これは世界大会でもそこそこ戦えるレベル。青木であれば走ってしかるべきタイムだが、柴田や新家も同レベルのタイムで走ったことは、日本の3000m障害のレベルが上がっていることを示している。

世界陸上ブダペストで日本選手2人が決勝を走っただけでも、日本の3000m障害にとっては快挙だった。男子3000m障害が日本の得意種目と言われる日が、近い将来に来るのかもしれない。

(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)