捜査を続けると、不審な人物と会社が浮かび上がります。
上原さん:
「大量に買っているにもかかわらず、何を作っているのかわからない」
「大量に一時的に買うんですけど、取引がありませんよと」
そして、たどり着いたのが、東京の世田谷にあるオウム真理教の道場でした。
事件の発生から3週間で、掴んだオウム真理教の影。

上原さん:
「外部に知れたら宗教弾圧とか、問題が出てきて捜査の邪魔になるということで、暗号を使うようになった」
「山下と呼ぶようになった」
「前はYと読んでいましたけど」
「(世田谷道場)最寄りの駅が山下駅なんですよ」
山下駅の頭文字を取ってコードネームは「Y」。

教団を探る極秘の捜査が進められ、オウム真理教が4つのダミー会社を通じて、薬品を大量に購入していたことを突き止めました。
県警はその年の10月、警察庁の依頼を受け、異臭騒ぎが起きた山梨県の旧上九一色村で土壌を採取します。
オウム真理教のアジトがあった場所で、土壌からサリンの残留物が検出されたのです。
しかし、強制捜査は行えませんでした。
上原さん:
「薬品に禁制品がなかった」
「直接的に取り締まれるものではなかった」
翌年2月には、実態解明のため、教団のダミー会社への張り込み捜査を開始します。
しかしその矢先ー。
「近づかないで!」
1995年3月20日、東京で地下鉄サリン事件が発生。

上原さん:
「あまりにも被害が大きいし、被害者がいっぱいいるので、地下鉄(サリン事件)を防げなかったのは非常に残念だった」
オウム真理教にたどり着いていた長野県警は、東京の警視庁と合同で捜査し、実行犯の特定に繋げました。
上原さんは容疑者の取り調べも担当し、オウム真理教は、70トンのサリンを作ろうとしていたことを知りました。