60年前に起きた新潟地震で犠牲になった3人の幼児を追悼する式典がきょう山形県鶴岡市で行われました。
鶴岡市立京田小学校・本間活人 校長「泣き声、叫び声があちらこちらから聞こえてくるのは潰れた建物の中にたくさんの子どもたちと幼児園の先生が生き埋めになっているからです」

新潟地震は、1964年6月16日に起きたマグニチュード7.5の地震で、26人が犠牲になりました。

県内でも9人が犠牲となり、このうち鶴岡市の京田幼児園では建物が倒壊し3人の幼い命が失われました。

京田小学校で行われた追悼式には、3人の遺族をはじめ、児童や地区の人々およそ200人が参加しました。


幼児園に通っていた弟を亡くした 吉田仁さん「やっぱり日本は地震が多く起こる国ですから、常に大きな地震が来ることを常日頃考えておく必要がある。」

参加した児童「きょうの式を終えて、おじいちゃんおばあちゃんにもどんな事があったか聞いてみたくなりました」

参加した児童「自分の命は自分で守って生きていきたい」

地震発生から60年の節目を迎え、地域の人や子どもたちは、祈りをささげるとともに、改めて自然災害の怖さと、防災意識の大切さを再確認していました。















