翌朝、比治山で見た光景も忘れることはできません。
才木さん
「ここに出てきて驚いたのが、両方にずっともう黒い物体が並んでいる。全部、人間の死体なんですよね、両側にね、降りるまで死体が続いているんです」

一中では、生徒たち353人もの命が奪われました。自分も行くはずだった「建物疎開」に動員され、屋外で直接閃光にさらされていました。
以来、才木さんは原爆を語ることはありませんでした。

92歳で証言者となった被爆者 才木幹夫 さん
「もう紙一重ですよね。我々2年だけが生き延びて、何かそういう生き延びているということに後ろめたさを感じるんですね。本当は原爆は忘れたかったですね。ええ。触れたくなかったですよね」
若い頃、東京でプロの声楽家として活動していた才木さん。今も毎週、コーラスグループの指導を続けています。

27歳で広島に戻ってからは開局して間もないRCCに入社しました。RCCではディレクターとして数々の音楽番組を制作。世界的指揮者、小澤征爾 さんの番組を作り、今も続く年末の音楽イベント「第九ひろしま」を立ち上げました。
原爆の記憶を封印して仕事に邁進しました。

コーラスグループのピアノ伴奏者
「優しくて穏やかで。とても優しい方」
コーラスグループのメンバー
「証言するのは悩んでいたみたいだけれど、勇気をふるってよくされたなと思います」
いつかは伝えなければー。踏み出せずにいた才木さんが証言者になろうと決めたのは、ロシアのウクライナ侵攻がきっかけでした。
才木さん
「もう、これを逃してはいかんと思って、率直にありのまま話さなければいけないなと。もう絶対に戦争はやめなければいけない」















