施設の元職員の苦悩

当時の飯塚さんを知る、三宅光一さん(87)です。三宅さんは飯塚さんの写真見ながら当時のことを話してくれました。

三宅光一さん:
「そうそう、この子。きかねがったんだ~(気が強かった)、これ」

男子を担当する生活指導員として施設で働いていました。

三宅光一さん:
「性格は良かった。私は助けられた、この子に。女の子が言うこと聞かないと、『あいつさっぱり掃除しないから、何とかしてけろ』と言うと『はい』って」

小松島学園に当時在籍していた子どもたちは80人ほど。施設にはたびたび役所の職員が訪れ、子どもたちに不妊手術を受けさせるよう頼んできたと言います。

三宅光一さん:
「役所の人がしょっちゅう来る。『なんとか子どもを納得させろ』とか。私は子どもには言えなかったね。かわいそうで。泣きながら、『なんで私たちがお嫁になれないんだ』と言われるとどうもね。言えないんですよ、かわいそうで」