開業は大正時代「三社参り」が売り

西鉄貝塚線が開業したのは、今から100年前の大正13年=1924年で、当初は、福岡市の新博多~和白間で運行を開始した。1951年には福岡県福津市の津屋崎まで開通、このころは「宮地岳線」と呼ばれていた。(1950年ごろまで表記は宮地嶽線だった)
研究を続ける福岡鉄道史料保存会・理事長の吉富実さん(69)は、こう話す。

福岡鉄道史料保存会 吉富実理事長「太宰府・筥崎・宮地嶽の三社参りを宣伝して、昭和40年頃までは、お正月は三社参りの切符を売るとか、そういうことをして乗客を誘致していました」
恐慌と戦争で「悲運の鉄道」に
西鉄の元社員でもある吉富実さんによると、開業当初は壮大な計画があったそうだ。

福岡鉄道史料保存会 吉富実理事長「昔から、福岡と(炭鉱で栄えていた)飯塚を結ぶ鉄道計画は博多の財界の悲願だったので、飯塚まで伸ばすのが宮地岳線の最初の計画。ところが昭和の恐慌で頓挫をして。さらに、北九州の折尾と福岡を結ぶ急行電車の計画もあって、計画を昭和12年(1937年)に申請をしたんですが、半年後くらいで日中戦争がはじまって軍事目的以外の投資を抑制されたので結局なくなってしまいました。貝塚線は一人前にできないまま今まで来ている、ちょっとかわいそうな路線であります。そういう意味では悲運の鉄道なんです」
その後1979年、福岡市内を走る電車の廃止に合わせて千鳥橋~貝塚間の福岡市内への乗り入れ区間が廃止。採算ラインの半分程度の利用しかない状態が続いていた西鉄新宮~津屋崎間も2007年に廃止され、路線の名称は現在の「貝塚線」に変更された。