107人が犠牲となったJR福知山線の脱線事故から19年となった4月25日。事故現場を訪れて手を合わせた人々に話を聞いた。その言葉と表情には、さまざまな思いが溢れていた。
――次男が2両目に乗っていたという西尾裕美さん。次男は頭から足の先までけがだらけ、口の中に泥がたくさん入っているような状態で運び出された。入院やリハビリを経て、事故の2年後には何とか野球など多少できるようになった。しかし足に後遺症が残っていると話す。

「次男は二両目に乗っていたけれども、事故で起こった自分の負の部分を、全部プラスに変えて元気にやっているんです。でも死んでしまったら、本当に苦しむだけが一生続く。」
「この事故を次は絶対起こさないようなJR(西日本)になっているか』っていうと疑問な部分がいっぱいあるので、絶対にこんな事故が二度と起こらないよう、ずっと私は見守り続けたい。」
――西尾さんは、言い続けること、忘れないこと、知らない人が知ること、が重要だと話す。
「(地下鉄火災のあった)韓国には安全テーマパークっていうのがあって、再現ビデオをしっかり日本語と韓国語と英語で作っている。その向こうに事故車両がダーって出る、そのインパクトはすごいので、JRの説明会で同じようなものをつくれって言ってるんですけど、全く反応がないんです。」
「事故って、きっと忘れた頃にやってくる。この鉄道事故は悲惨です、100人以上亡くなるなんて。絶対に事故を起こさせないため、みんながしっかり関心をもって、言い続けるというか、忘れないこと、知ることが一番大事。ぜひよろしくお願いします。」
  













