武士の“たしなみ”から庶民の“芸能”へ…
やがて「能」は武士のたしなみとして受け継がれていきますが、前田利家が開いた“加賀藩” (金沢)では五代藩主の前田綱紀のとき、徳川幕府五代将軍の徳川綱吉が宝生流を取り立てていたので前田綱紀も宝生流を学び、元禄元年(1688年)に町民にも能を奨励し、町民が城中での演能に出演することが許されていました。
また税の
よく「金沢の空から謡(うたい)が降ってくる」と耳にするそうですが、庭師や大工が作業をしながら謡を口ずさむので、能楽が暮らしに根付いていたなごりといえます。
加賀藩の支藩であった越中(富山)でも、結納・結婚式で当時の魚屋さんが裏方で謡う「鶴亀」や「高砂」の一節を耳にされた人もいるかもしれません。
富山では、大正時代に富山寶生会として発足、1935年(昭和10年)に創立した富山県宝生会は、終戦直後の混乱期に中断していた時期がありますが、現在も春と秋の能楽大会を柱に謡曲講座や夏の研修会を開催しています。
富山薪能は1981年(昭和56年)に第1回を富山県護国神社で開催して以降、富山大空襲の犠牲者を慰霊し「富山まつり」の前夜祭として現在は毎年7月31日に富山能楽堂で開催しています。
富山県宝生会は2025年(令和7年)に創立90年を迎えますが、年齢構成が高齢化しています。
このため次の世代に引き継いでいくことが、ユネスコの世界無形文化遺産である伝統文化 “能楽” の課題となっています。