歌舞伎俳優の市川團十郎さんが、歌舞伎座「團菊祭五月大歌舞伎」取材会に出席しました。
「團菊祭」は、明治の劇聖と謳われた9代目市川團十郎と5代目尾上菊五郎の偉業を顕彰するべく始められ、1936年から続く恒例行事です。
今回、昼の部で上演される「極付幡隨長兵衛」(きわめつきばんずいちょうべえ)で、日本の侠客の元祖と言われた幡隨院長兵衛を團十郎さんが演じます。

2013年に亡くなった父、12代目市川團十郎さんから生前最後に教えられた役ということで、父から伝えられたことについて問われると“2013年の正月、僕が浅草公会堂で舞台をやっていた時、父は人工呼吸器をつけていて。浅草公会堂からテレビ電話で父と話したのが最後だったんです。2012年12月に稽古をDVDに撮って病室に送って見ていただいて、その見ていただいたことについて父は、私の本名「堀越孝俊(2015年「寶世」に改名)へ」と手紙を綴ってくれて。その手紙の中に私がやっている幡隨院長兵衛への思いや、こうだと思うということを丁寧に書いてあって“と、当時の状況を振り返り、“あんまり褒めることをしない父でしたけど、その時は珍しく「悪くないんじゃないのか」と。父が「悪くない」と思ってくれたように頑張りたいと思います“と、團菊祭への決意を新たにしていました。

さらに具体的な手紙の内容について聞かれた團十郎さんは“(父は)悟ってたよね。最後ね。ダメかもしれない、自分が。弱気なところのない父だった。12か月のうち11か月歌舞伎公演をしていた。でも、2012年12月に病室行った時に彼が一言言ったのは「私は休むことを学ばなければいけなかった。もっと自分の体に向き合うことをやらなければならなかった」ということを、ボソッと僕に言ったんですね。その延長線上のようなことが書かれていた“と、明かしました。

また、自身のブログで長女の市川ぼたんさん、長男の市川新之助さんと一緒に、マレーシアとバリ島旅行を満喫したことを報告していたことについて尋ねられると、1年以上にわたり続いている襲名披露興行を振り返り、“心が歌舞伎をやりすぎておかしくなりそうだったと思うんです。子どもたちと3人で自然の豊かなところで過ごすことで、父が言ったように「休みも大事にしろ」と言われたことを実感した2週間でした“と、團菊祭に向けてリフレッシュできたようでした。
【担当:芸能情報ステーション】