小嶺聡之選手:
「ここでやっていました、ずっと。この下、雨でもできるじゃないですか。光がギリギリ当たる、ここら辺のスペースでずっとやっていた。放課後に階段から降りてくるんですよ、生徒が。他の生徒が見てるけど、もうずっと知らんぷりでやっていた。
(Qその頃のモチベーションは?)どういうモチベーションだったんですかね。高校の頃はエネルギーがあり余っていた。かっこいいスポーツなので、人に見られながら練習するのも練習のうち、と今は思います」

小峰選手が来ると聞きつけ、一時期所属していたヨット部顧問の先生が来てくれました。

ヨット部顧問 加藤良平先生
「彼とは連絡を取ったりは全然してないですけど、こそこそネットで記事は見ています。頑張って続けているんだなぁ、と思って見ていました」

大学は慶応に進学

高校卒業後は、慶応大学に進学。学校の勉強と、フリースタイラーとしての練習に加え、フリースタイルフットボールの世界連盟メンバーとして、大会運営も手がけることに…。

小嶺聡之選手:
「東北の競技人口が少ない、というのが、きっかけ。大会を開催したら人も集まるかなぁ、ということで、高校の3年のときに1回(大会運営を)やって、長町のゼビオアリーナでやったんですよ。その時、すごいモチベーションがあったので、今考えると、よくやったなと思うんですけど、結局選手をやっていても見ている人が少なかったら悲しい。人が増えるように、やっています」