陸上競技場もスパイクを履くこともない 

島の人々が家族のように暮らす島ですが、島内には陸上競技場はなく、スパイクを履いた練習も出来ません。そうした環境の中、空良さんはどのように沖縄一まで上り詰めたのか。秘密は放課後、阿嘉島のシンボル・阿嘉大橋の上にありました。

夕方、車通りの少なくなった阿嘉大橋が、阿嘉陸上クラブの練習場所です。

指導にあたっているのは、空良さんの父親で、元陸上・八種競技の選手としてインターハイの出場経験もある、金城哲さん。

生まれ育った阿嘉島に戻った9年前から、島の子供たちに陸上の楽しさを伝えています

父・金城哲さん
「足が速くなっていく子たちを見るのがとても楽しくて、それで続けようという風に思いました。僕が今仕事で遅くなって帰ってきても、子供たちが自分たちで走っていることがあるので、その姿を見ているとどうしてもこの子たちが卒業するまでは教えたいなというのはあります」

島の環境を生かし、工夫を凝らしたトレーニングを続けた結果、様々な大会で入賞する選手が生まれ始めました。

中体連の三段跳び優勝 大島佑心(中2)
「細かいところまで一人一人教えてくれるから環境は正直よくないけど、でもやっぱりそれ以上に島の人たちが支えてくれるから、成り立っているんだと自分も思います」

子どもたち
「きついけど、楽しいです」
「続けてなかったらダラダラになっちゃうから」

島でトレーニングを続け、大きく成長してきた空良さん。今ではクラブの最年長選手として後輩たちを引っ張っている存在ですが、この春で中学校を卒業。島を離れる時が近づいています。

金城空良さん
「階段とかも自分たちで見つけてやっている場所が多いから、それはそれでいい練習かなと思います。いつものメンバーでやることはもう残り少ないから、1回1回の練習、ちゃんと心に刻んでやっていきたい」