パリ五輪の男子マラソン代表が出そろった。昨年10月のMGC(マラソン・グランドチャンピオンシップ)優勝の小山直城(27、Honda)と、2位の赤﨑暁(26、九電工)が代表に内定していた。MGCファイナルチャレンジ・シリーズ3大会(昨年12月の福岡国際マラソン、今年2月の大阪マラソン、3月の東京マラソン)で、2時間05分50秒の設定記録をクリアする選手が現れず、MGC3位の大迫傑(32、Nike)が3人目の代表に決まった。
3人のパリ五輪までの出場予定試合、強化ポイントなどを紹介する。

大迫がボストン・マラソン経由でパリ五輪に臨む理由は?

3月3日の東京マラソン。日本人トップの西山雄介(29、トヨタ自動車)のタイムが2時間06分31秒だった。その時点でMGC3位の大迫の、パリ五輪代表が内定。リオ五輪(5000m予選落ち&10000m17位)、東京五輪(マラソン6位入賞)に続く3大会連続五輪代表入りを決めた。

大迫は翌日、自身のYouTubeチャンネルでコメントを発信。具体的な目標は語らなかったが、前回より悪い順位を目指す選手はいない。世間はメダルを期待するかもしれないが、正直なところ大迫であってもハードルは高い。連続入賞すれば日本選手としては最多タイで、十二分に評価できる。

YouTube上で「(12月の会見で表明したとおり)4月のボストンを予定通り走ると思います」と再度表明した。ワールドマラソンメジャーズ6大会(東京、ボストン、ロンドン、ベルリン、シカゴ、ニューヨークシティ)の1つで、世界トップクラスの選手が集まる歴史のある大会だ。
ボストンに出場する理由の1つに、自身の初マラソンが17年ボストンだったことを挙げた。

「初マラソンから成長してきた部分と、もしかしたら7年間の中で何か落として来た大事なものがあるかもしれない。そういうものが何か再認識できるかもしれません。良きも悪きもあまり振り返らないタイプですが、そこに立つことで新たな気づきもあるんじゃないかな」

ボストンから五輪本番までのインターバルは4か月で、短すぎるという指摘も陸連関係者から出ている。だが、大迫にはそれが問題ないと考えられる根拠がある。

大迫は東京五輪前年のMGCも3位で、ファイナルチャレンジの20年東京マラソンで当時の日本記録(2時間05分29秒)で走って代表入りを決めたが、「ファイナルチャレンジへの緊張感やプレッシャーはすごかった。(そのダメージで)東京五輪が1年延期されず20年開催だったら、良い走りはできなかった」とも言っている。つまりファイナルチャレンジでないボストンなら、精神的な負荷はそこまで大きくない。

またボストンは“心臓破りの丘”が有名な、起伏が激しい難コース。普通の選手は脚へのダメージが大きく(特に下りで)、回復に時間がかかる。しかし大迫は17年シーズンで、6月の日本選手権10000mに優勝し、ホクレンDistance Challenge網走大会10000mでも、かなりの暑さの中で自己記録に迫った。4か月間隔が問題ないことは確認済みだ。

そしてMGCは熾烈な戦いでストレスも大きいが、日本人選手だけの争いである。実戦を走らないと世界トップレベルの選手との戦いが、23年の東京マラソン以来1年半ぶりになってしまう。

つまりボストンなら、精神的なダメージが残らないし、やはり起伏が激しいパリ五輪コースのシミュレーションにもなる。そして世界トップ選手と戦うことで、勝負勘を研くことができる。3枠目の代表を逃すリスクもあったが、ファイナルチャレンジを回避してボストンに出場する理由は納得できる。

大迫はYouTubeのコメントで、MGCの3位についても次のように話した。

「(一度引退して)復帰して1年半くらい、僕の中で色んなことがせわしなく動いてきましたが、まずは国内で勝負できる位置に来られたと。自分の強さを実感できましたね。あとはもう一歩勝てる能力を身につけていかないと、という思いも出てきた良いレースでした」

パリ五輪代表にも内定した今、“もう一歩勝てる能力”を身につけるのに最適な大会がボストンだった。初マラソンの地で有益な“気づき”があれば、2大会連続入賞に大きく前進する。