昭和39年(1964年)3月、球磨川の川開きと球磨川下りの映像です。


球磨川下りは明治43年(1910年)人吉温泉の旅館「翠嵐楼(すいらんろう)」創業者・川野廉翁が宿泊客のために遊覧船を運行したのが始まりだと言われています。昭和に入ると観光客からも人気となり、乗り合いの川下り舟が定期運航されるようになります。 参考:球磨川ラフティング協会ホームページ・球磨川下り

球磨川の「川開き」は人吉に春の訪れを告げる行事で、これ以降本格的な観光シーズンが始まります。当時ニュースはこう伝えています。

「球磨路に春の訪れを告げる球磨川開きが人吉市で賑やかに行われました。午前9時、人吉城址にある川開きの恩人・林正盛頌徳碑前で淵田市長や川下り船の船頭さんなど200人が出席して安全を祈る祈願が行われました。

このあと水の手橋の発船場で6船団40隻の船に400人の招待者が乗り込み、テープや紙ふぶきの中、臼太鼓踊りに見送られて、白石(葦北郡芦北町)までの25キロの川下りに出発しました。


ガイドさんの案内で二股の瀬、修理の瀬、槍倒しの瀬と大小48の瀬を矢のようなスピードでくだり川下りの醍醐味を満喫しました。また船の中では球磨焼酎を傾けるお客さんもあって、賑やかな川下り、川開きでした。」
