シリーズ「現場から、」です。能登半島地震で起きた輪島市の大規模火災で、火の手から逃れた1人の医師。住民がいつ地元に戻ってもいいように、切実な思いを抱えながら診療を続けています。
奥能登の観光名所「輪島朝市」。露店が並ぶ商店街の本町通りには、去年夏の輪島大祭にあわせて、キリコを担ぐ若衆の威勢の良いかけ声が響いていました。しかし…
ごちゃまるクリニック 小浦友行 院長
「ここで僕は生まれ育った。たまたま火から逃れられただけで、当事者ど真ん中です」
この本町通りに生まれた小浦友行さん。医師として地元に戻り、おととし、クリニックを開きました。
ごちゃまるクリニック 小浦友行 院長
「コロナ明けで、ようやく祭りができるとみんなが活気づいて、本当に絆が強い地域だった。悔しい」
火が燃え広がった家々には、小浦さんがかかりつけ医として診療していた患者の自宅もありました。その住民は今も安否不明のままです。
ごちゃまるクリニック 小浦友行 院長
「津波という話になっていたので、とにかく逃げるしかない。自分も90超えたばあちゃんおんぶして。絶対に助けなきゃいけない人だというのは分かるんですけど…」
小浦さんは火災現場から500メートルほど離れたクリニックを拠点に先月22日、外来診療などを本格的に再開しました。
また、2016年の熊本地震で被災地支援のため、益城町に滞在した経験をいかし、今回の地震では国や県医師会と地元医師の橋渡し役=リエゾンとしての役目も担っています。
自らも被災者でありながら、地元に残る患者のもとを駆け回る日々です。
小浦さん
「お元気そうですね」
患者
「どこも悪ない」
小浦さん
「日に日に元気に見えるわ」
『地元・本町通りに以前の活気が戻ってほしい』。観光地のにぎわいだけではなく、つながりの深い住民同士の営みが確かにそこにはあったと言います。
ごちゃまるクリニック 小浦友行 院長
「あの通りを生業だけでなく、営みとして生活していた人は今、散り散りになっている。あの町でどんな人と過ごしていたのかを、僕はずっと忘れずに語り続けたい」
決して諦めないと繰り返す小浦さん。医師として、そして地元に生きる一人として、輪島の復興を信じながら、きょうも診療を続けます。
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