高知県南国市の岡豊城跡の近くで行われた発掘調査の結果が公表され、これまで文献でしか確認されなかった長宗我部一族の寺=「瑞応寺」が実際に存在していた可能性が高まりました。今後は、国の史跡への追加指定を目指してさらなる調査が進められます。
南国市は、2023年11月から、岡豊町にある、長宗我部一族の寺=「瑞応寺」が建っていたと推定されている場所で発掘調査を行っていて、このほど、調査結果が報道機関に公開されました。
その結果、この場所に、戦国大名・長宗我部元親が16世紀に両親を弔うために建てた「瑞応寺」があった可能性が高まったということです。
(南国市教育委員会事務局生涯学習課 文化財係 濵田佳奈 主幹)
「今までは瑞応寺が『岡豊山の北麓、北谷の部分にある』ということが、文献などでわかっていたが、今回の調査の成果を合わせることで、『瑞応寺がこの地にあった』ということが確かになってきたということに意義がある」
長宗我部氏の城=岡豊城跡の北側にあるこちらの平地からは、柱の跡など、建物が立っていた痕跡が見つかりました。
(南国市教育委員会事務局生涯学習課 文化財係 濵田佳奈 主幹)
「柱跡から『このあたりに建物が建っていた』可能性が考えられる。焼けた土・火を使った痕跡から、こちらで何か製作物が行われていたり、鍛冶のようなことが行われていたりしていた可能性が示唆される」
また、建物があったと推定される場所の隣には、水が溜まっていたような跡があり、これは寺の本堂と一緒に発掘されることが多い「池」があったとみられています。
さらに、遺跡からは鉄砲の玉や、当時は高級品だった「青花」や「天目茶入」などアジア製の陶器なども見つかっていて、この地に“戦国大名の寺”があったことが伺えます。
長宗我部氏の城=岡豊城の跡地は国の史跡に指定されていますが、南国市では、今回調査した「瑞応寺」跡地と推定される遺跡も追加指定されるよう、調査を行うとしています。
(南国市教育委員会事務局生涯学習課 文化財係 濵田佳奈 主幹)
「まだ、この遺跡全体の規模や空間構成がわかっていないので、今後の調査で建物の配置や、空間構成をもう少し明らかにしていけたら」
南国市は23日、住民らを対象に現地説明会を行います。














