63年「決死の煙突男」
動く映像が残っている中で最も大騒ぎとなっていたのは、63年の煙突男でしょう。
北区の火力発電所跡地にゴミ処理場をつくろうという計画が持ち上がり、地域の住民がそれに大反対したのです。

主婦たちが「決死」と書かれたハチマキを締め、抗議の声を上げましたが、そのシンボルとなったのが、煙突男・小野田年宗氏でした。

「煙突精神」を発揮して区議会へ
小野田氏は、当時39歳。地上50メートルの発電所煙突によじ登り、そこから旗を振って「ゴミ処理場建設反対」を訴えたのです。12月のこと、朝方は気温2℃ほどになったといいますが、それでも84時間、煙突のテッペンにとどまりました。

その84時間後、自衛隊員に救出され、即、入院となりました。
彼はベッドでこう語っています。
「煙突からおりる時は足がふるえ、冷や汗が流れました。夜は寒くて、ほとんど眠れませんでしたし、何ものどを通りませんでした。今後は『煙突精神』で、地上でがんばります」
煙突からおりた彼は、その「煙突精神」を発揮したのか、北区の区議選に出馬、みごと当選したそうです。
