「元祖煙突男」は昭和5年にあらわれた

それにしても「労働争議」「ゴミ施設建設反対」など、煙突男は労働運動や政治に縁が深いようです。そこには「元祖・煙突男」が影響しています。
ときは1930(昭和5)年、舞台は川崎市です。富士紡川崎工場(川崎市)構内の高さ約40メートルの煙突の上に、若い男性がよじ登り、避雷針に赤旗を結びつけ大声でストライキを主張しました。この若い男こそが「元祖煙突男」田辺潔氏です。彼は戦前の左翼活動家ともいえる人物でした。

「元祖煙突男」とされる田辺潔氏。

滞空時間は130時間。これは当時の「世界一」でした。
煙突の下には、見物人がごった返し、酒におでんや今川焼きなどの屋台が立ち並んだといいます。娯楽の少なかった当時のこと、煙突男の演説は一種のイベントであり、その演説は「そうだ!」「いや、違う!」「頑張れ!」など(賛否はさておき)受け入れられたと言います。

煙突籠城130時間。田辺氏の顔はすすで真っ黒でした。