(ブルームバーグ):中国政府は、トランプ米大統領と習近平国家主席の首脳会談を数週間後に控える中、米メタ・プラットフォームズによる人工知能(AI)エージェント新興企業マナスの買収阻止に動いた。
決定の唐突さとタイミングは、ベンチャーキャピタル(VC)業界に衝撃を与えている。取引は4カ月前に成立し、メタはすでに自社ツールへのマナスの統合を進めていたためだ。
これはまた、中国当局が2020年後半にアント・グループによる340億ドル(現在のレートで約5兆4400億円)規模の新規株式公開(IPO)を土壇場で阻止した決定を想起させる。中国はこれを皮切りに、その後数年にわたり巨大テック企業への締め付けを強化し、世界の投資家に数十億ドル規模の損失をもたらした。
今回の措置は冷酷に映るかもしれない。だが、中国政府には、マナスが利用していた抜け穴を塞ぐ正当な理由がある。つまり、同社の経営陣や初期投資家に巨万の富をもたらす抜け道だ。
2025年3月創業の同社は、「人間の思考を行動に変える」汎用AIエージェントを世界で初めて開発したと主張したが、初期ユーザーからはソフトウエアの不具合が指摘されていた。
同年4月には米VC大手ベンチマークから評価額5億ドルで資金を調達した。7月には本社をシンガポールに移転。中国の従業員の大半を解雇するとともに、中核技術者をシンガポールに移した。年末には、戦略的な買い手を見つけ、メタに20億ドル超で売却した。
マナスによる迅速なエグジットは、1号店の開業から2年足らずで2019年に米ナスダック上場を果たした中国コーヒーチェーン大手の瑞幸咖啡(ラッキンコーヒー)をも見劣りさせるものだ(同社は会計不正疑惑を受けて翌年に上場廃止となった)。
マナスを巡る目まぐるしい展開だけでも、習主席の懸念を招く可能性がある。習主席はかねて、短期的な利益確定よりも長期リターンを重視する「耐心資本(忍耐強い資本)」を提唱してきた。
VCの文化はさておき、問題の核心は、中国の豊富なエンジニア人材の「配当」を誰が享受するのかという点にある。中国政府の立場から見れば、政府が高等教育に多額の投資を行い、若く低コストで豊富なエンジニア人材を育成してきたからこそ、マナスの成功が可能になったとの認識がある。
マナスの最高経営責任者(CEO)である肖弘氏は、中国が推進するSTEM(科学・技術・工学・数学)教育の産物だ。同氏は武漢の華中科技大学でソフトウエア工学を学んだ。今年3月には、規制当局による調査のため、共同創業者である同氏と季逸超氏は出国を禁止された。

マナスはシンガポール企業に衣替えし、エンジニア人材を国外に移すことで、中国政府が提供してきた公的支援は実質的に価値がないと主張したに等しい。実のところ、中国社会全体はマナスから恩恵を受けていない。雇用は生まれず、株式投資家のキャピタルゲインもなく、地方自治体の税収にもつながっていない。それどころか、同社のAI技術は米企業に売却され、利用されている。
他のAIスタートアップもマナスに追随すれば、中国で高等教育や学術研究に資金を投じる意味はどこにあるのか。これこそが、マナスが越えてしまったレッドライン(譲れない一線)だったのかもしれない。中国政府は今回の決定を通じて、同様の取引が今後起きないよう確実にしたのだ。
もちろん、地政学や資本市場の観点も背後にはある。中国は依然として米国の技術、とりわけAIの大規模言語モデル(LLM)の訓練に用いられる先端半導体を必要としている。
習主席は中核技術を国内にとどめることで、シリコンバレーの最先端技術を入手する見返りとして、米企業に中国製品のライセンス供与を認める余地を確保している可能性がある。昨年には、中国の字節跳動(バイトダンス)が保有するTikTokの米事業が、ホワイトハウスとの通商交渉において有益な切り札となった。
一方で中国は、過熱する米国のディール競争が国内産業の有機的な発展を損なうことも避けたいと考えているだろう。ハイパースケーラー(大規模クラウド事業者)はスタートアップに対して、数十億ドル規模の資金を惜しみなく投じてきた。単にAI開発の次の段階に乗り遅れないための保険として行う場合もある。
メタは昨年、計算能力の確保に向けた大型インフラ投資に加え、買収だけで160億ドルを投じている。シリコンバレーが積極的な投資局面にある中、中国のスタートアップが時期尚早に売却されてしまうリスクは高い。
もっとも、習主席としては、今回の政策対応が新型コロナウイルス禍のテック弾圧の再来と受け止められないよう配慮する必要がある。また、米VC企業が中国企業と共同で、引き続き投資を行える環境を維持することも求められる。
それでも、マナスの巧妙な戦略は行き過ぎたとの見方が強い。中国政府がこれを問題視するのも無理はない。そうでなければ、黎明(れいめい)期にある中国のAIソフトウエア産業に対して、このユニコーン企業(企業価値が10億ドル以上の未上場企業)がどのような前例を示すことになるというのか。
(シュリ・レン氏はブルームバーグ・オピニオンのアジア市場担当コラムニストです。同氏は投資銀行に勤務した経歴もあり、米経済紙バロンズでは市場担当の記者でした。このコラムの内容は個人の意見で、必ずしも編集部やブルームバーグ・エル・ピー、オーナーらの意見を反映するものではありません)
原題:Xi Is Right to Close the Pandora’s Box Manus Opened: Shuli Ren(抜粋)
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