中国共産党の習近平総書記(国家主席)が抱く不安を知りたければ、インターネット検閲当局に何を削除するよう命じているかを注視すればいい。

国営メディアが信頼できないとき、筆者は大規模なネット検閲システム「防火長城」の内側にあるソーシャルプラットフォームを、中国世論の動向を測るリアルタイムの指標として長らく見てきた。

どんな白書よりも、「躺平族(寝そべり族)」「哭哭馬(泣く馬)」「死了么(死んだか?)」といった言葉やミームの拡散が、カルチャーの潮流を映す最も鮮明な窓に思えることがある。少なくとも、それらがネット上から排除されるまでは。

香港生まれの作家、イーリン・リウ(Yi-Ling Liu)氏は新著「The Wall Dancers: Searching for Freedom and Connection on the Chinese Internet(ウォールダンサーズ:中国のインターネットで自由とつながりを求めて)」で、検閲の指示こそが共産党の恐れと願望を、どの公式文書よりもよく示しているとみている。

リウ氏は「網民」と呼ばれる中国人ネットユーザーの視点から、急速に変化する国家の姿を描く。彼らにとってウェブは単なる娯楽ではなく、並行する社会空間だ。

インターネットは初期の頃、その可能性が無限であるかのように思えた。中国北部の海辺の村に暮らすゲイであることを隠していた警官は、オンラインでコミュニティーを見つけ、やがて世界最大のLGBTQ向け出会い系アプリを構築。自らカミングアウトし、ナスダック上場を果たした。

デジタルマガジン「女権之声(フェミニストの声)」のクリエーターらは、微博(ウェイボ)で抗議運動を組織し、地域や全国レベルで変化を迫った。成都のヒップホップアーティストは自身の声と国境を超えたオーディエンスを見いだした。

燃え尽きたテクノロジーワーカーらはコード共有プラットフォームの「GitHub」で結集し、いわゆる「996」労働(午前9時から午後9時まで週6日働く慣行)に反旗を翻した。実例は枚挙にいとまがない。

締め付け

しかし、音楽はやがて鳴り止む。「結局のところ、私たちは皆、少しナイーブだった」とリウ氏は筆者に語った。かつて予見されていたように、テクノロジーへのアクセスがそのまま民主的な自由の拡大につながるわけではなかったという。

政府が締め付けを強める中でも、約20年にわたり網民たちは踊り続けた。元警官の起業家は、テクノロジー業界への締め付け強化と規制環境の変化の余波で自身の会社を失った。女権之声は長年にわたる対話や文章、コミュニティーの蓄積がネットから消し去られ、創設者は国外に去った。

ヒップホップは「ポジティブエネルギー」を促すという名目で「浄化」された。ラッパーは故郷に戻り、作品よりもナショナリズム的なノイズが報われるオンラインのエコシステム(生態系)を嘆いた。

一方、テクノロジー業界における「内巻」は、人工知能(AI)の台頭に伴いいっそう激化している。内巻とは過当競争、つまり「ラットレース」だ。

ネット初期にうたわれていた約束が裏切られる様子を見てきたのは、中国だけではない。「アラブの春」に託されたデジタルの希望はすぐに押しつぶされた。

米国ではシリコンバレーが権力を少数のプラットフォームに集中させ、今やそのリーダーらはトランプ大統領に公然と接近している。X(旧ツイッター)では、ナショナリズムが幅を利かせているが、微博を見てきた者には見慣れた光景だ。

だがリウ氏が指摘するように、中国のナショナリスト的な網民は毛沢東時代の残滓(ざんし)ではない。彼らの多くは豊かで強くなった中国で育ち、成長期の記憶は飢饉(ききん)ではなく北京で2008年に開催された夏季五輪の栄光だ。

「TikTok」を巡る騒動も変化した。中国がこの動画共有アプリを通じ影響力を高めると警鐘が鳴らされてきたが、今ではTikTokの米事業のオーナーシップが中国企業から米企業にシフトしても、情報操作が終わることはないのではないかと懸念する米国人もいる。

テクノロジーは民主化よりも武器化に適していると示してきたのではないか。リウ氏の新著は、こうしたタイムリーかつ居心地の悪いグローバルな議論を促すだろう。

クリントン元米大統領はかつて、中国がインターネットを統制するのは「壁にゼリーを打ち付ける」のと同じくらい難しいだろうと語ったが、壁の内側で踊り続ける市民を描いたこの本はそうした言説を退ける。

AIは誰の味方か

反対意見を封じ込めるために構築された高度なシステムの下でも、中国の人々は迂回(うかい)ルートを考案し続けている。活動は分散化し、言葉は変異し、ハッシュタグは擬装される。

セクハラや性被害を受けた女性たちが声を上げた「#MeToo」運動は、ウサギとご飯茶碗の絵文字に姿を変えた。コメ(米)の中国語は「ミー」で、発音をもじることで、本来口にできないことを語れるようにするためだ。

リウ氏の新著はその大半が、テクノロジーが現代中国のかたちをどうつくったか振り返る内容だ。だがリウ氏のより強い懸念は、次に何が起きるかだ。彼女は、AIが中国と米国の双方で、さらなる権力集中と不平等を加速させる触媒になることを恐れていると筆者に告げた。

それでも、各国政府がAIのリスクに対処するために協力できなくても、市民団体や研究者、教師の間で人と人との交流を拡大する余地はあるとみているという。上からの脅威と闘うには、下からの組織化が出発点となる。そして米国の政策当局に向けた彼女のメッセージは明快だ。

中国を一枚岩と見なすのをやめ、14億人の中国国民に米国人が自らの恐れや欲望、嫉妬を投影するのをやめよ、ということだ。

中国のネット上の運動はもろく、はかない。それでもなお、リウ氏が女権之声創設者の言葉を引用して「地上砲火」と呼ぶものを宿している。

それはジョークや暗号、デジタルコミュニティーの中で生き延びる、ゆっくりとした執拗な不満の熱であり、適切な瞬間を待って火花を散らす。

得られた教訓は、権威主義的な検閲が勝るということではない。クリエーティビティーは持続し、人々はテクノロジーに使われるのではなく、それを使う新たな方法を常に見いだしているということだ。

リウ氏の本は、防火長城の内側に広がる繁茂する庭園のポートレートであると同時に、中国共産党が抱える不安の地図でもある。

当局が消し去ろうとするもの、つまりフェミニズムや労働不安、寝そべり族こそが、どんな5カ年計画よりも真の問題を網羅している。

リウ氏が伝える数々の物語は、国家が現実を狭める能力を拡大してきたことと、市民がその制約を乗り越える頑強な才覚の双方を明らかにする。今問われているのは、AIが最終的にどちらの側を強くするのか、という点だ。

(キャサリン・トーベック氏はアジアのテクノロジー分野を担当するブルームバーグ・オピニオンのコラムニストです。CNNとABCニュースの記者としてもテクノロジーを担当しました。このコラムの内容は個人の意見で、必ずしも編集部やブルームバーグ・エル・ピー、オーナーらの意見を反映するものではありません)

原題:Surfing Xi’s Insecurities on China’s Web: Catherine Thorbecke(抜粋)

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