狙われた日本人画家 その贋作は今もどこかに
ベルトラッキ氏は、ふと思い出したかのように、こんな話を切り出した。

ヴォルフガング・ベルトラッキ氏
「これは君たちのために探しておいたんだ。当時、フジタの作品を描いた時に買ったものだよ。私は、モンパルナスで活動していた画家のほとんどの絵を描いたんだ。フジタもその1人だったよ」
藤田嗣治(1886〜1968)は、20世紀初頭、単身でパリに渡り活躍した日本人画家だ。

藤田の「繊細な輪郭線」。そして「グラン・フォン・ブラン」=“素晴らしき乳白色”とも称された色使いは、パリの人々に大きな衝撃を与えた。
ヴォルフガング・ベルトラッキ氏
「私は作品をよく観察し何度も見たんだ。彼はいつも明るい色合いの絵を描いて、こんな風にコントラストは、ほとんどないんだ」
ベルトラッキ氏は、藤田の贋作を描くため、何度もパリの画廊を訪れたという。藤田のゆかりの地も辿った。
ヴォルフガング・ベルトラッキ氏
「ほら、ここにも座ったよ。カフェ『ル・ドーム』。自分が座った椅子に、当時の画家が座っていたかもと想像したよ」

パリ・モンパルナス。かつてこの街には、世界中から若い画家が集まった。藤田は、ピカソなどとも交流があった。
藤田嗣治が通った店のスタッフ
「フジタ氏は、偉大な芸術家の友人たちと創造性を高めるために、当店をよく訪れていたようです」
ベルトラッキ氏は、画家たちが過ごした場所に足を運び、タッチを習得。雰囲気や空気感を体に染み込ませた。
「画家たちの人間性を理解することで、“完璧な贋作”へと繋がる」と話す。

ヴォルフガング・ベルトラッキ氏
「描いたのは2点。2人の女性や女の子の絵を描いたんだ」
藤田の贋作の所在は、今も分かっていない。