求められる「知的労働」のフィジカル化
本レポートの冒頭において、2つの根源的な問いを提起した。
一つは、「AIが知的な作業を誰でもできるものに変えていく中で、人間に残された価値ある仕事とは一体何なのか」。
もう一つは、「AIと手を組んで新しい価値を生み出す側に回るためには、具体的にどのような役割やスキルが必要なのか」である。
AI時代に価値が残る領域で検証したデータは、この問いに対する現実と希望の両方を示している。ILOのデータは「処理能力」の価値が失われたことを示し、Colomboらの分析は「対人・文脈」の領域にAIが踏み込めないことを示した。
これらの事実に基づき、本章では上記2つの問いに対する最終的な回答を提示する。それは、これまでの知的労働の定義を捨て、「頭脳労働(ホワイトカラー)へ身体性(ブルーカラー的要素)を統合する」という結論である。
(1)人間に残された価値ある仕事とは?
「人間に残された価値ある仕事とは何か」。この問いへの答えは、「AIがアクセスできない物理的な現実(現場)への介入」である。
なぜ、高度な分析よりも現場の活動に価値が残るのか。その根拠は、AI研究の第一人者ハンス・モラベックが提唱した「モラベックのパラドックス」にある。
この理論は、「高度な推論や計算はコンピュータにとって容易だが、知覚や運動といった身体的なスキルは極めて困難である」という事実を示している。
つまり、オフィスで完結する「高度な分析」よりも、複雑な現実世界で「動き回る」ことの方が、計算機科学的には遥かに高度で代替困難な処理なのである。
したがって、私たちが目指すべき「価値ある仕事」とは、PCの前から離れ、現場に赴き、物理的な空間で一次情報に触れるという「身体性への回帰」の中にこそ存在する。
(2)必要なスキルとは?
次に、「どのようなスキルが必要なのか」という問いへの答えは、「AIを使いこなす知性」と「人の心を動かす力」の掛け合わせである。
ハーバード大学のデビッド・デミングの研究によれば、労働市場で最も価値が高まっているのは、高い数理能力を持ちながら、同時に高い社会性スキル(Social Skills)を併せ持つ人材である。
AIは論理的に正しい「正解」を瞬時に導き出せるが、人間は感情や政治的力学で動くため、正論だけでは動かない。
ここで不可欠となるスキルは、AIが出した「冷徹な論理」を、人間の感情や組織の文脈に合わせて噛み砕き、関係者が受け入れられる形に変換して合意形成を図る「翻訳能力」である。
AIを使いこなすリテラシー(数理)と、人間関係の摩擦を調整する力(社会性)という両輪を回せることこそが、AI時代に求められるスキルである。
(3)必要な役割とは?
最後に、「どのような役割が必要なのか」という問いへの答えは、「作業者(オペレーター)」から「編集責任者(エディター)」への役割転換である。
The Daisのレポートにある「AIに補完される領域」に留まるためには、AIを単なる自動化ツールとして使うのではなく、自分の能力を拡張する「外付けの脳」として使い倒す必要がある。
自らは問いを立て、現場を走り回り、人間関係を調整する。その過程で必要なデータ処理や論理構築はすべてAIに行わせ、最終的なアウトプットの「品質」と「結果」にのみ責任を持つ。
このように、AIと自身の身体性を組み合わせ、仕事全体をプロデュースする「編集者」としての役割を担うことが、AIと協働し価値を生み出すための具体的な道筋となる。
AIは私たちから仕事を奪うのではなく、「情報処理の速さと正確さ」のみを競う時代を終わらせたに過ぎない。
これからの時代、AIという最強の「左脳(論理・計算)」を持ち、人間という「身体(現場・五感)」と「社会性(調整・共感)」で実行するスタイルこそが、新たな価値の源泉となる。
※なお、記事内の「図表」に関わる文面は、掲載の都合上あらかじめ削除させていただいております。ご了承ください。
※情報提供、記事執筆:第一生命経済研究所 ライフデザイン研究部 主席研究員 テクノロジーリサーチャー 柏村 祐