昨年7月のベネズエラ大統領選で野党候補に敗れた証拠があるにもかかわらず勝利を主張し続けているニコラス・マドゥロ氏が3回目の大統領就任式に臨み、6年間の新たな任期をスタートさせた。

孤立を深めるマドゥロ氏に対する圧力は高まるばかりだ。同氏は野党への弾圧を強め、大統領選後に出国した対立候補が帰国し就任宣誓を行うのを阻止するため、コロンビアとの空路と陸路を閉鎖するまでに至った。

ベネズエラの現状について、知っておくべきことは以下の通りだ。

マドゥロ政権下のベネズエラで何が起こっているのか

1998年の大統領選を制した元陸軍中佐ウゴ・チャベス氏は急進的な社会主義改革を進めたが2013年に死去。その直後の大統領選でマドゥロ氏(62)が勝利を収めた。

マドゥロ政権下では食料・燃料の不足や公共サービスの不安定さが目立ち、770万人のベネズエラ人が国外に脱出。大規模な抗議デモも頻発した。

これに対し、政府は軍部に街頭デモを規制する権限を与える法律を制定し、政治集会を違法化するとともに、メディアの自由を制限し、非政府組織の活動を抑制した。

これらの法律に違反したと見なされれば、軍事裁判にかけられ、殺人と同等の刑罰に処される可能性がある。

マドゥロ氏はどのようにして政権を維持しているのか

マドゥロ氏の権力基盤は、軍指導部との強い結び付きだ。軍部は14年と17年にマドゥロ氏の側につき、全国的な抗議活動を鎮圧した。

その見返りにマドゥロ氏は石油利権や港湾・鉱山プロジェクトのうまみのある管理権を軍幹部に与えている。マドゥロ内閣は勲章を受けた士官で占められ、各省の役職には治安部隊のメンバーが就いているほか、国営企業は軍幹部を受け入れる用意をしている。

治安部隊は徹底的に思想教育を受け、厳重に監視され、部隊内部からマドゥロ氏に対する潜在的な脅威が生じないよう意図的に組織されている。

マドゥロ氏は18年に自身に対する暗殺未遂があったとされる事件を含め、軍部の反体制派による断続的な反乱の企てを阻止してきた。

下級兵士の待遇は悪く、低い報酬で厳しい生活を強いられている一方で、多くの高級将校は快適な生活を送っており、マドゥロ氏はリスクを抱えている。

反乱発生の可能性を小さくするため、政府は軍内部で生じ得る異論を抑制。カラカスに拠点を置く非営利団体フォロ・ペナルによると、7月の大統領選前に反逆罪で軍の施設に入れられていた政治犯287人のうち、半数が軍関係者だった。

24年の大統領選で何が起きたのか

ベネズエラが近代史上最悪の経済危機から脱する中で、マドゥロ氏は新しく開かれた大統領選でチャンスをつかむ意欲があるように見えていた。

ただ、野党指導者のマリア・コリーナ・マチャド氏は立候補を禁止された。それでもマドゥロ氏は国際社会に対して民主主義の原則を尊重していることをアピールしようと、マチャド氏が信頼するエドムンド・ゴンサレス氏の立候補を許可した。

しかし、現実には公正な選挙とは全く言えない展開となった。マドゥロ氏は7月28日の大統領選で勝利したと証拠を示さず宣言。これに対し野党側は、ゴンサレス氏が70%近い票を獲得し、マドゥロ氏の約2倍の支持を得たことを示す過半数の投票所での詳しい開票結果を公開した。

マチャド氏側が発表した集計結果は、米国や欧州連合(EU)、カーター・センターなど多くの国や機関によって有効と認められた。カーター・センターは、昨年12月に100歳で死去したカーター元米大統領が設立した非営利団体で、民主的選挙の支援を目的の一つとしている。

野党指導者のマチャド氏とゴンサレス氏とはどのような人物なのか

元国会議員のマチャド氏(57)は裕福な家庭で育った。彼女の父親が経営する製鉄会社シベンサは、チャベス氏が10年に接収した時点で国内2位の規模を誇っていた。この経験が、国家が経済に干渉すべきではないというマチャド氏の考えを形成する一因となった。

選挙監視団体「スマテ」を10年以上運営していたマチャド氏は、ベネズエラ経済にダメージを与えているとしてチャベス氏の演説を妨げ、後にマドゥロ氏に対する街頭デモを主導したことで知られている。このため、14年にマドゥロ氏の盟友カベジョ国会議長(当時)によって議会から追放された。

マチャド氏(1月9日)

その後、大統領選への出馬表明までほとんど表舞台に姿を見せなかったマチャド氏だが、23年の野党予備選で92.4%の得票を得て勝利した。だが、ベネズエラ最高裁は同氏の立候補を30年まで禁止する決定を復活させた。

政府監査当局によると、マチャド氏は資産開示において誤りや記載漏れがあったという。また政府は、同氏が野党指導者だったフアン・グアイド氏が主導する複数の「汚職計画」に関与したとも主張。さらに、米国による対ベネズエラ制裁に加担したとして非難した。米国はトランプ政権1期目の19年、国会議長を務めていたグアイド氏を暫定大統領と認定した。

立候補資格が失われたにもかかわらず、マチャド氏は全国で選挙運動を続けた。自然発生的な集会で、経済に対する政府の統制を排除し、私有財産と私有企業を復活させるという公約を掲げ、分裂した野党勢力をまとめ、マドゥロ氏退陣という共通の目標を国民に示した。

ゴンサレス氏(75)は、1990年代から2000年代前半にかけて、ベネズエラの駐アルゼンチンおよび駐アルジェリア大使を務めていた。同氏は、ベネズエラの通貨安定や外国からの投資促進、政治犯の解放を訴えている。

選挙後、何が起きたのか

マドゥロ氏の勝利宣言に反発し、大規模な抗議デモが起きた。政府軍は厳しく取り締まり、多くの市民を逮捕し、国連調査団が「最も過酷で暴力的」と呼んだ手段で弾圧に乗り出した。

米国務省は最新の人権報告書で、マドゥロ政権が市民を抑圧するため、殺人や強制失踪、拷問を行っているという信頼できる報告があるとしている。大統領選後にゴンサレス氏はスペインに逃れ、スペイン政府は同氏の亡命を認めた。一方、マチャド氏は身を隠した。

マチャド氏(中央、2024年8月3日のデモ集会、カラカスで)

今月9日、マドゥロ氏に反対する集会に姿を現したマチャド氏は一時的に拘束されたものの、2時間以内に釈放された。一方、ゴンサレス氏は大統領就任宣誓を行うため帰国すると表明。これを受け、ベネズエラ当局は同氏逮捕につながる情報提供に10万ドル(約1600万円)の報奨金を出すと発表した。

世界はどのように対応したのか

バイデン米政権はゴンサレス氏をベネズエラの次期大統領と呼称した。今月20日に米大統領に就任するトランプ氏は、自身のソーシャルメディア「トゥルース・ソーシャル」でゴンサレス氏を称賛。マドゥロ政権への圧力を強めるため、米国とEU、英国、カナダはベネズエラ政府高官に対する制裁を強化した。

アルゼンチンやペルーを含む一部の中南米諸国は、ゴンサレス氏を正当な大統領として承認している。反米左派のマドゥロ氏は左派政権であるコロンビアとブラジルからの支持も失っており、両国の首脳はベネズエラ政府に対し同氏当選の証拠を公開するよう要求し、就任式参加を辞退した。

それでも、キューバのディアスカネル大統領はマドゥロ氏の就任式に出席し、中国の習近平国家主席も代理人を参加させた。ニカラグアのオルテガ大統領、そしてロシアのプーチン大統領が派遣した特使も式典に出席した。

マドゥロ氏支持者によるデモ(カラカス、2024年8月3日)

原題:How an Isolated Maduro Clings to Power in Venezuela: QuickTake(抜粋)

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