「信用スコア」というものをご存じだろうか。
信用スコアは、個人の信用力を数値化する指標であり、金融機関やクレジット会社等の与信判断の際に用いられるだけでなく、個人のファイナンシャル・ウェルビーイングに深く関連する存在でもある。
ファイナンシャル・ウェルビーイングとは経済的安定感や将来への安心感から得られる心理的充足を指し、現代社会において重要な要素とされる。
日本では、2024年11月にCICが提供を開始した「クレジット・ガイダンス」が注目を集めている。
このスコアは、年齢や性別、職業等の属性情報を排除し、支払履歴や借入残高といった金融行動データを基に算出されるという特徴を持つ。
しかし、まだ稼働したばかりで、そのインパクトや普及状況には不明確な点が多いのが現状だ。
一方、米国のFICOスコアや中国の芝麻信用(Zhima Credit)は、住宅ローンや保険料の計算、入居審査、採用判断等、生活の様々な場面で活用されており、個人の選択肢や生活の質に大きな影響を与えている。
このような海外の事例と比較すると、日本の信用スコア活用には多くの可能性が残されていると言えよう。
本稿では、信用スコアと人的資本の関係を整理し、企業が果たすべき役割について考察する。
特に、家計管理や信用スコアの仕組みに関する教育が、従業員のファイナンシャル・ウェルビーイング向上や従業員エンゲージメントの向上にどのように寄与するかを検討する。
また、CICのクレジット・ガイダンスを中心に、日本の信用スコアの可能性についても触れる。
人的資本と信用スコアの関係
経済学における人的資本の定義
人的資本とは、個人の能力やスキル、健康、経験といった無形資産の総称であり、教育や訓練を通じて投資されることで、生産性や収益の向上をもたらすとされる概念である。
シュルツ(1961)は、教育や健康への投資が個人と社会の経済成長に寄与すると指摘し、ベッカー(1993)は、人的資本が労働市場における生産性と収益性に直結すると体系化した。
信用スコアが反映する人的資本の要素
信用スコアは、金融履歴を評価するだけでなく、人的資本の要素を間接的に反映していることが先行研究から示唆されている。
例えば、Israelら(2014)の研究では、教育水準は計画的な借り入れや返済行動を支える重要な要因とされ、自己制御能力は支払いの遅れを減らし、金融行動を健全に保つ上で重要な役割を与えることも指摘されている。
また、幼少期に培われた人的資本要因が中年期の信用スコアに影響を与えることも示されている。
さらに、Hai and Heckman(2016)の研究では、教育やスキル向上が金融制約を緩和し、個人の経済的な選択肢を広げるとされている。
これらの研究は、信用スコアが個人の経済的行動を反映するだけでなく、教育やスキル向上といった人的資本要因が信用スコアの改善に寄与する可能性を示唆している。
以上の点を踏まえると、信用スコアは単なる金融指標というだけではなく、教育や計画性、自己管理能力といった人的資本のさまざまな要素を反映する重要なツールであると考えられる。
ただし、信用スコアが低い場合でも、それが必ずしも人的資本の欠如を意味するわけではない。経済的困難や突発的な事故、家庭環境といった外部要因がスコアに影響を与えることがあるため、評価には慎重さが求められる。
CICクレジット・ガイダンスの特徴と課題
特徴
CICのクレジット・ガイダンスは、属性情報(性別・年齢、勤務先・職業・学歴、年収・預金額、家族構成等)を排除し、公平性とプライバシー保護を重視した設計となっている。
また、支払履歴や残高管理等の金融行動データを基準に評価を行っており、スコアの算出根拠を部分的に開示している。
この設計は利用者の努力によってスコアを改善するためのポイントを提供していると言える。
例えば、短期間に複数のクレジットカードを申し込むことを避ける、利用額を適切に管理するといった地道な行動の積み重ねが、スコアの改善につながるとされる。
筆者が実際に取得したクレジット・ガイダンスでは、3桁で表示された指数(200~800)の算出理由として、指数に大きく影響を与えた順に4点記載されていた(順不同):
・極度額(クレジットカード等)に対する残債額の割合
・支払いの遅れの有無
・請求回数に対する未入金回数
・契約期間
CICによると、クレジット・ガイダンスのスコアは、登録されている金融行動データのうち、特に客観的な取引事実を基に5つのカテゴリに分類して複合的に算出している。
これらのデータは時間と共に変動するため、健康診断と同様に定期的にチェックし、自らの状況を知ることは有用であると考えられる。
課題
CICのクレジット・ガイダンスは現時点で利用目的が与信判断に限定されており、新たなビジネスや社会的活用への展開には課題が残されている。
今後、信用スコアの活用範囲拡大が期待される。
例えば、米国における代表的な信用スコアであるFICOスコアは、賃貸契約や保険商品のリスク評価、更には職種によっては就職時の採用可否判断にも利用されており、信用スコアの応用が生活の多方面に広がっている。
また、中国の芝麻信用のスコアではさらに踏み込んだ活用がなされている。
日本でも米国と同様の活用が進む可能性があるが、そのためには社会的受容や透明性の確保、データ利用のガバナンス整備が求められる。
企業の役割 金融リテラシー支援と従業員エンゲージメント向上
金融リテラシー支援
企業が従業員向けに金融リテラシー教育を提供することは、信用スコアの向上を通じてファイナンシャル・ウェルビーイングを高める上で重要である。
資産形成や年金等に関する教育に加えて、信用スコアの観点からは、例えば以下のような取り組みが考えられる。
1.家計管理の指導:予算管理や貯蓄計画についての知識と手法を教える。
2.信用スコアの仕組みの解説:スコアを上げる方法や注意点を学ぶ機会を提供する。
3.従業員向け相談窓口の設置:経済的な不安を軽減するためのサポート体制を構築する。
これらの取り組みは、従業員の金融リテラシーを高めるだけでなく、信用スコア改善を通じて経済的安定感を提供することができる。
従業員エンゲージメント向上
金融面での安定は従業員の満足度や生産性の向上につながる可能性がある。信用スコア改善の支援を通じて経済的な安心感を提供することは、従業員のエンゲージメント向上や、離職率低下等にもつながることが期待できる。
おわりに
今日の、多様化する個人の経済環境において、信用スコアは人的資本とファイナンシャル・ウェルビーイングの向上に寄与する重要なツールであると言える。
支払履歴や残高管理に基づく信用スコアは、個人が自らの財務状況を客観的に把握し、計画的な財務管理の手助けとなる。
これにより、健全な負債管理を通じて、経済的や将来への安心感を高めることになろう。
人的資本の観点から見れば、信用スコアは個人の計画性や自己管理能力を反映する要素とも言える。
これらの能力は、職場での生産性を高める基盤となり、個人の能力の伸長や組織全体のパフォーマンスにも好影響を与えるだろう。
企業による金融リテラシー支援は、従業員が信用スコアを活用して自らの経済状況を健全に保つ能力を高めるうえで重要だ。
こうした取り組みは、従業員の安心感を高め、従業員エンゲージメントや、生産性の向上に寄与する可能性がある。
信用スコアを通じて個人のファイナンシャル・ウェルビーイングを向上させる取り組みは、経済的に安定した個人を増やし、社会全体の活力を高める可能性がある。
たとえば、信用スコアの改善によって低金利での借り入れが可能になると、住宅購入や教育投資が促進され、経済の成長に寄与するだろう。
多くの人が安心して将来設計を描ける社会が実現し、持続的な発展へとつながっていくことが期待される。
(※情報提供、記事執筆:ニッセイ基礎研究所 総合政策研究部 主任研究員 小原 一隆)