(ブルームバーグ):オフィス街の中心から少し離れた場所にあるカラオケ店は、密談にもってこいの場所かもしれない。2022年5月13日、東京都中央区のカラオケボックスの一室に、大手損害保険3社の営業担当者が顔をそろえた。歌うためではなく、法人顧客に相乗りで販売する「共同保険」の保険料を調整するためだった。
しかし、なれ合いが白日の下にさらされ、こうした光景は過去のものになりつつある。損保業界の不祥事から始まった変革のうねりは、日本の市場改革を加速するきっかけにもなっている。
一連の不祥事の当初の報道は控えめに始まった。ブルームバーグを含むメディア各社は23年6月、大手損保4社が東急を契約者とする損害保険の更改契約で価格(保険料)を調整していたと報じた。同じ営業担当者らは仙台国際空港の保険料の見積額も事前に調整していた。価格調整はカラオケ店や飲食店などで複数回行われていた。
奇妙なのは、価格カルテルによって不当に高い保険料を設定したのではなく、むしろリスクに比べて低い価格が設定され続けていたことだ。
国内損保市場は約9兆円規模。増加する台風など自然災害への補償は主力商品の火災保険に含まれており、同保険の収支は10年以上赤字が続いていた。健全な市場であれば、各社は自然災害の増加・甚大化を考慮し、高まるリスクに応じて保険料を引き上げていただろう。実際、米国や英国ではそうだった。
福岡大学の植村信保教授は、1996年に保険業法が改正される以前の保険料率は各社一律で価格競争がなかったため、採算性への意識が弱かったとし、「利益よりシェア優先という意識が残っていたのではないか」と指摘する。
一方で、損保業界を取り巻く事業環境は急速に変化していた。
「過去最大」の台風被害
2018年9月初旬に台風21号が日本を直撃し、大阪では風速45メートルを超える暴風が吹き荒れた。鉄道や工場は操業を停止し、数百万軒の住宅やオフィスで停電が発生。小型タンカーが風にあおられ、空港と本土を結ぶ連絡橋に衝突したため、関西国際空港にいた数千人が一時孤立する事態となった。
日本を襲った過去25年間で最も深刻な暴風雨から1カ月もたたないうちに、再び台風24号が直撃した。JR東日本が首都圏全線で計画運休を実施するなど、交通網は完全にまひした。
台風21号で損保各社が支払った保険金は、一度の災害としては初めて計1兆円(火災・自動車・海上保険など)を超えた。保険会社がどれほど財務的圧力にさらされているかを測る指標である損害率は、11年の東日本大震災以来の高水準に上昇した。 当時の経営陣はこれらの災害による影響への懸念を示したが、一連の自然災害は数十年に一度の「異常事態」なのか、それとも「新しい常態」なのかは量りかねていた。

災害多発の一方で、なれ合いによる価格調整は採算改善につながらない。ゆがんだ業界の状況はやがて規制当局の知るところとなる。
金融庁は23年12月、企業向け共同保険の保険料を事前に調整していたとして、東京海上日動火災保険、損害保険ジャパン、三井住友海上火災保険、あいおいニッセイ同和損害保険の大手4社に対し、保険業法に基づく業務改善命令を出した。4社は過去5年以上にわたり、約600社の企業保険の契約者の保険料を調整していたという。
発表資料の中で、金融庁が問題の背景の一つとして挙げたのが、自然災害頻発・激甚化だった。10年代後半から火災保険の大幅な赤字が常態化したことで、大手損保の経営層が利益を重視する姿勢を見せ始めた。現場では、保険契約の更新時に値上げや補償縮小など企業が難色を示すような提案を試みるために、事前調整の機会が増加したと指摘した。
値上げを頼むと顧客は「他社に乗り換える」
業界関係者20人以上との会話の中で、営業担当者らは特に複数年で数億円規模の契約となる企業向け保険について、競合他社に顧客を奪われないようにしながら保険料を引き上げるようにという社内からの指示と、顧客の間で板挟みになっていたことが分かった。
最近退職した営業経験のある元大手損保の幹部は、営業担当者は本社から自然災害による保険金の支払いが増加したので保険料を30%値上げする必要があると注文を受け、顧客に伝えると他社に乗り換えると言われたと、その緊迫した交渉ぶりを振り返った。
業界全体が同じ逆風に直面していた。各社の営業担当者はゴルフや会食を通じて顔を合わせていた。転職した元営業担当者によると、「また競争させよう、新しい入札をさせよう」と考える顧客から身を守るため、他社の営業担当者をコーヒーに誘い「争いはやめよう」と話し合っていたのだという。
顧客企業のグループ会社として損保会社との間を仲介し、損保会社の代理として保険契約を締結する「企業内代理店」が価格調整に加わることもあった。代理店側は各社の提案価格を知っていた上、保険料の値下げ競争によって代理店収入が減るよりも調整によって保険料を安定させたいという動機が働いた。元損保担当者は、競合他社の書類を放置したまま代理店側がわざとトイレに立ち、価格調整を手助けしたこともあると語った。
複数の営業経験者や幹部は、調整行為は個人的な利益や法外な価格設定を目的したものではなかったと主張した。企業向け共同保険の保険料について事前に話し合うことは、火災保険で赤字が続く市場で平和的な解決策だと捉えていたからだ。そして、企業側の共同保険の主幹事選択には、少なからず損保との持ち合い株の多寡が関係していた。
金融庁の処分を受け、4社とその親会社は、計130人以上の経営幹部の報酬削減や同業他社との接触ルールの厳格化を発表した。しかし、最も注目を集めたのは、数百社の上場企業、計8兆8000億円規模に上る政策保有株を全て売却する方針を示したことだった。
政策保有株「ゼロ」の影響
政策保有株は「持ち合い株」ともいい、第2次世界大戦前の旧財閥に起源をたどる独特な慣行だ。企業が投資目的ではなく、取引関係の維持や強化のために他社の株式を長期間保有するもので、株主総会などでは無条件に経営陣の方針に賛成するケースがほとんどだ。23年3月末時点で、日本企業は国内上場株式の約12%を保有する。
コーポレートガバナンス(企業統治)専門家のニコラス・ベネシュ氏は、政策保有株を「忠誠株」と呼ぶ。仮にアクティビスト株主が経営に異議を申し立てても、忠誠株主がいれば安泰なのだ。政策保有株を持ち続ける企業に対し、ベネシュ氏はその資金を「イノベーションや顧客満足度の向上に投資すべきだったのに、間違った方向に力を注いでいた」と断ずる。
日本企業の資本効率を低下させている政策保有株の削減は、日本市場に海外投資を呼び込みたい金融庁の悲願でもあった。損保会社については、不祥事が格好の口実を与えた感は否めない。鈴木俊一金融相(当時)は2月、業務改善命令を受けて損保各社が作成中だった業務改善計画に、政策株売却の観点を盛り込むようくぎを刺した。
こうして出そろった業務改善計画などで、MS&ADインシュアランスグループホールディングス傘下の三井住友海上とあいおいニッセイ同和、東京海上ホールディングス傘下の東京海上日動火災は30年3月末までに、SOMPOホールディングス傘下の損保ジャパンは31年3月末までに政策保有株をゼロにするとそれぞれ宣言した。

金融庁の担当者は、行政処分を出したことは事実だが、記事で書かれている詳細な内容についてはコメントを控えるとした。
「これは本当に根本的な変化だ」と、S&Pグローバル・レーティングの保険担当アナリスト、関根淑子氏は言う。持ち合いの解消もあり「保険会社が引き受けるべきリスクに見合った、より適切な価格設定へと向かっている。以前は、より人間関係に基づくものだった」と述べた。
保険会社は、銀行とともに持ち合い株式の解消が進まない業界の一つだった。例えば、東京海上やMS&ADは長年にわたりトヨタ自動車の株主名簿の上位に名を連ねていた。
しかし、大きな地殻変動が起きつつある。大手損保グループ3社は今年度中にまず合計で1兆4750億円超の政策保有株を売却する方針を公表。東京証券取引所からの資本効率の改善要請を受けて大手企業が自社株買いを検討していた流れと一致し、日本企業の持ち合い解消を加速させている。
ブルームバーグは6月、三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)など2メガバンクが、政策保有株として持つトヨタ株の売却を検討していることが分かったと報じた。トヨタが取引先の株式売却要請に備えて設定した上限1兆円の自社株買い枠を活用して実施した自社株公開買い付け(TOB)には損保2社も応募。削減は着実に進んでいる。
なれ合いと決別へ正念場
損保業界の信用は大きく失墜したが、S&Pの関根氏は、少なくとも持ち合い株の解消は損保会社にとって有益だとみる。「保険料の調整を止め、顧客企業が新しい価格設定のメカニズムに賛同すれば、それは望ましいことだ」と期待を示した。政策株の売却期待で大手3グループの株価は大きく上昇している。
しかし、根深いなれ合い体質を断ち切れなければ根本的な問題は解決しない。
保険業界に詳しい金融庁幹部は、顧客である企業側は保険料の引き下げを要求し利益を享受してきており、100%被害者だとは思わないと指摘する。一方で、顧客企業が価格調整を望んだ訳ではないのは明らかだ。同庁などの調べでは、東急の事案発覚の端緒は、東急の担当者が複数の損保からほぼ同一の入札価格を受け取ったことで疑念を抱き、各社に説明と手続きのやり直しを求めたことだった。
公正取引委員会で損保カルテルの調査を指揮した大胡勝審査局長は、ブルームバーグの取材に「カルテルは市場メカニズムを壊し、適正な価格決定をゆがめる。各社の苦しい事情はあったとしても、ルールは守らなくてはいけない」と指摘。「体質も含めて再発防止に取り組んでほしい」と苦言を呈した。同委は10月、大手4社の独占禁止法違反を認定、総額20億円超の課徴金納付命令を出した。

言うまでもなく、保険は災害による財産の損壊やサプライチェーンの遮断、業務の中断などのリスクに値段を付ける作業だ。大胡氏が指摘するように、価格の事前調整は市場へのシグナルをゆがめ、企業が災害に備えて強固なサプライチェーンを構築するなどの対策を決断する機会を奪うことを意味する。長年にわたる保険料調整行為の影響が深刻なのは想像に難くない。
体質改善への取り組みは始まっている。金融庁の審議会は昨日、再発防止に向けた報告書を公表した。価格調整で一定の役割を果たしたとされる企業内代理店への依存を見直し、日本ではまだなじみの薄い独立系の保険仲介人を活用するよう促した。しかし、改革に時間をかける余裕はなさそうだ。
東京海上HDの広報担当者は、保険料調整を含む不適切事案の再発防止に向け、組織風土の改善や適正競争を阻害する慣行の解消などに取り組んでいると述べた。MS&ADの広報担当者は社外専門家も含め検証・論議を継続しながら、業務改善計画を着実に遂行しているとした。SOMPOと東急の広報担当者はコメントを控えた。
ここ数年、国内は台風による壊滅的な被害を免れているが、気候変動の影響は国内全域でますます顕著になっている。近年はサバやカツオの漁獲量が低迷している。甲府地方気象台によると、富士山の今年の初冠雪は観測を開始した130年間で最も遅かった。
金融サービスを手掛ける米MSCIが、日本を含む先進国約5300社を対象に台風や洪水による設備の損害や猛暑の影響を分析したところ、日本企業は欧米などの企業に比べ、3倍近いリスクにさらされていることが分かった。
業界関係者によると、スキャンダルの発覚後、企業向け契約の保険料は上昇しているという。日本損害保険協会の城田宏明会長(東京海上日動火災社長)は19日の定例会見で、個社の話として企業保険の値上げや補償引き下げなどの「厳しい交渉を、しっかりと逃げずにやっている」と説明し、改めて価格調整問題の再発防止徹底を誓った。信頼回復に向け、改革は待ったなしだ。
--取材協力:浦中大我.もっと読むにはこちら bloomberg.co.jp
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