山口県下関市の酒造会社・下関酒造。看板商品「関娘」で知られ、地元の人を中心に広く親しまれています。2023年12月に創業100周年を迎える下関酒造が、節目の年に下した大きな決断、そして新たな挑戦を取材しました。
酒蔵のシンボルに別れ

9月、「下関酒造」の煙突が解体されました。この煙突は1923年の創業当時に建設され、酒の原料の米を蒸すために約40年前まで燃やしていた石炭の煙を排出していたそうです。れんが造りの煙突は待ち合わせ場所や道案内の目印として、長く地域の人に親しまれてきました。6代目の内田忠臣社長にとって、煙突から煙が出る様子は入社する前に見ていた光景でした。

下関酒造・内田忠臣社長
「私の実父が、ここで働いていたので、経営していたので、彼をここに毎朝送って僕は自分の職場に行っていたんですね。そのときに、煙突からこう煙が上がっているんですよ。それを見て、『おお、きょうも酒造りが順調に進んでいるな』っていう言葉を聞いたのがね、すごく印象に残っています」
煙突は補強と修繕を繰り返し、保存できないか検討を重ねてきました。しかし、今後地震や風雨に耐え続けることは難しいと判断し、苦渋の思いで解体されることになりました。
内田社長
「ここはもう思い切って100年の節目で本当にご苦労さま、100年間ご苦労さまでしたと。次のわれわれの200年、300年に向かって次のステップを踏むのでね」
約15メートルあった煙突は、少しずつ解体され、最後は2メートルほどまでになりました。今後はモニュメントとして保存されます。

「自分たちの米で地酒を」地元農家が創業
下関酒造は100年前、約450人の地元農家により創業されました。「自分たちの米で、下関の地酒をつくる」。創業者たちが掲げた思いは今も受け継がれ、地元の米を原料にした日本酒をつくり続けています。
機械化の導入やカフェの設置。伝統を守りながらも、従来の概念にとらわれない取り組みを通して、日本酒をもっと身近に感じてもらおうと、日々挑戦しています。













