疎開児童の暮らしは辛いことだけではなかったようです。
地主さんのまとめた当時の疎開児童との記録にはこんな言葉が。
「疎開の思い出は、数々あります。(中略)地元の子どもに、教わった吊り独楽には、ビックリでした。独楽を凧糸で釣り操る妙技に感動しました」
「東京に帰るとき、その独楽をいただき、今も大切に持っています」

大山で終戦を迎えた人々が建てた記念碑には、疎開児童が感謝の思いをつづっています。
石碑は鶴岡市内の6か所に建てられました。鶴岡の疎開児童の歴史は今を生きる子どもたちにどう映るのでしょうか。

「お互いの国が物資とか分け合って仲よくすれば争いなんて起こらない」

「過去のことを学んで繰り返してはいけないことを覚えておく」

「過去のことを知っておくのが大切」

戦後79年、当時の事を知る人はどんどん少なくなっています。歴史は私たちに平和の尊さを語りかけます。