戦後79年が経ち、戦争体験者が減少する中、富山大空襲の記憶の継承や資料の保存も年々難しくなっています。後世に伝えるための拠点を求めて市民団体が動き始めました。

「ヒフただれミ痛む痛ましいムザンな姿である大声で「殺して呉(く)れー」と叫ぶ見ていられない」

これはある女性が描き残した富山大空襲の記憶です。

1945年8月2日未明の富山大空襲。

米軍のB29爆撃機が50万発以上の焼夷弾を投下し、市街地の99.5%が焼失。空襲を受けた地方都市では最悪の被害でした。死者は推定3千人にのぼりました。

若林ウタさんは当時20歳で富山大空襲を体験しました。

若林さんは、双子の娘に伝えようと、25枚にわたり、絵と文で空襲の記憶を描き残しました。