子どもたちに伝える“未来の可能性”
新たな目標となったのが、サイエンスコミュニケーターとして“水素の可能性”を伝えることでした。この日行ったのは、鉛筆や塩水などを使って水素と酸素に電気分解したり、水素で発電したりする実験です。
飛田さん「反応式はこんな感じです!ミッキーみたいなやつね。ミッキーみたいな水のやつに電気を流してぶちぶちっと耳をはがします」

難しい言葉を使わないかみ砕いた説明、テーマパークさながらの演出。子どもたちの心も躍ります。
参加した小学生「楽しかった。(実験を)久しぶりにできてうれしかった」
参加した中学生「楽しかったです、本当に。テンポよく楽しく学べた」
参加した保護者「大人でも聞きやすかったというか、子どもにもわかりやすい授業だと感じた」
福島で活動する際に、いまも忘れずに心に留めていることがあります。
飛田さん「東日本大震災で、当たり前が当たり前ではなくなった、それを直に体験した場所だと思う。僕自身もこれは当たり前ではないんだと気づかされた。いつこれ(日常生活)がなくなってもおかしくない」
震災を機に物の見方が変わったという飛田さん。実験を通じて子どもたちに伝えていたことがありました。
飛田さん「合っているかどうかは重要じゃありません。自分の考えを持つことが重要。水素は言ってしまえば手段でしかない。本当に大事なのはトラブルが起きた時に対応できる力」
原発事故後、トップランナーとして水素社会を目指す福島。「水素のお兄さん」は、“未来の可能性”を子どもたちに伝え続けます。

【取材後記】TUF報道部・記者 伊藤大貴
「僕、これ天職だと思うんです。生まれ変わっても『水素のお兄さん』をやりたいなって思う。」目を輝かせながら、インタビューに答えてくれた飛田さん。
そんな明るくポジティブな飛田さんですが、大きな挫折をしているといいます。元素、さらには水素に魅了された幼少のころの思いが色あせることはなく、研究に没頭できる高等専門学校に進学。しかし、待ち受けていたのは理想とはかけ離れた現実でした。
「研究が自分に向いてないなって思ってしまった。周りの人もめちゃくちゃ優秀で。だめだな・・・学校に行かなくなった。家で悶々と、ただ時間が過ぎていく」何とか高専は卒業したものの、編入した大学でも半年間の休学。悶々とした日々を過ごす中で気づいたことがあったといいます。
「人前でしゃべることが好きだったなと思った。そのときだけ生き生きしていたなって」そこで自らの人生の活路として見い出したのが、大勢の人を前に水素の魅力を発信するサイエンスコミュニケーター だったといいます。心が折れた日々の先に待っていたのは、最高の「天職」。「生まれ変わってもこの仕事をやりたい。」胸を張って話す姿はとてもまぶしく見えました。













