自宅は帰還困難区域に…ふるさとを歌に 

今野さんが生まれ育った津島地区は、原発事故の影響で今も大部分が、帰還困難区域のままです。

今野さん「もう何もありません」

地区の集会所の目の前に、今野さんが家族で暮らした自宅はありました。

今野さん「家は残っていないんだけど、なぜか入学式に植えた桜の木だけは残っている。親父がタイヤの間に植えたから、タイヤの間から出ている。病気にもならずに(今年も)ちゃんと咲きそうですね」

今野さんは現在、原発事故で離れ離れになってしまった住民のコミュニティの再生を支援しています。

今野さん「僕が子どもの頃から毎日遊びに行っていた、友達のお母ちゃんやお父ちゃんと今でも親交がある状態で、本当に帰ってきたという感じ。散り散りになってしまった町の中でも、こうして帰ってくる人たちにとって交流の場は貴重なもの」

今野さんが卒業した浪江町の津島小学校です。校舎は、解体される予定です。

今野さん「みんな思い出のある場所だと思うので、寂しさはあるけど、だからってこのまま置いておいてどうするのっていうのもありますし…」

震災から間もない頃、遠く離れた東京から、ふるさとに宛てた曲を作りました。