■被災地を訪問 震災について学ぶ団員たち
福島に甚大な被害をもたらした震災から11年半が経った今、震災を知らない世代も増えてきました。
そこで、合唱団では、団員たちに震災を知ってもらう活動もしています。被災地や震災関連の施設を訪れ、その場で感じたことを丁寧に記録したり、劇を通して震災の記憶を多くの人に伝えたり。さらには復興に関連するニュースについて意見を交わしたりして、日々震災に向き合っています。

この日は、津波の被災地で回収された「思い出の品」について話し合いました。
合唱団の団員「震災の怖さを知らない方たちが見ることで、物の価値が高まる」
合唱団の団員「実際に津波で被災した場所にあったもの。だからこそ語れるものがある」
合唱団の団員・萩原凜さん「物たちは、ずっと持ち主を待っていたと思う」
小学6年生の萩原凜(りん)さん。震災当時、凜さんは生後1か月で、お母さんが毛布で包み、守ってくれたといいます。

萩原さん「今の自分があるのはお母さんのおかげだって思っています」
萩原さんは、震災に向き合う理由をこう話します。
萩原さん「被災者の苦しみや経験をみんなに話していかないと、大変さ、地震が起きた時にどういう行動をとったらいいのかわからなくなってしまうから」
■「急に消えちゃった」悲しみ乗り越え伝えるために歌う
県内の高校に通う、村田日和(ひより)さんは、震災当時、南相馬市小高区に住んでいました。津波で祖父母・曾祖母の3人を亡くしました。
村田日和さん「本当に急に消えちゃったみたいな気持ちで、その時は受け止めきれない悲しさがありました」

しかし、この合唱団での活動を通して、徐々に前を向けるようになったといいます。
村田さん「震災を知らない人たちに伝えるためにも歌っているし、あとは自分が頑張ろうというために歌っている部分はある」

「震災を経験していない人にも震災を知ってほしい」。合唱団は、震災と向き合い続けながら、福島の未来を切り開いていきます。
佐藤敬子さん「東日本大震災だけでなく、神戸や新潟などをたくさん見せたい。それをそれぞれ心に落とし込んでいって、未来を開拓できる子どもになってもらえたらいいなと思っています」
【取材後記】TUFアナウンサー 平岡沙理
東日本大震災から11年が過ぎた2022年4月、私は福島県にやってきました。私が生まれ育った兵庫県神戸市は、1995年1月17日に阪神・淡路大震災が起きた街です。阪神高速が倒れた場所の近くにあった祖父母の家も、大きな被害を受けました。震災前は私の両親も一緒に住んでいたため、引っ越していなければ、私の両親も兄も亡くなっていたかもしれないということを両親から聞きました。
震災の4年後に生まれた私も、学校で震災について学び、経験していない世代なりに震災について考えてきました。震災学習の中で、欠かせない歌が『しあわせ運べるように』でした。
東日本大震災から11年半が経った今、私のように震災を経験していない子どもたちが、震災について考える活動をしていないかと調べていた際、今回取材させていただいた「しあわせ運べるように合唱団」の皆さんに出会いました。神戸でずっと歌われてきた復興の歌が、福島でも歌われていることを知り、ぜひ取り上げたいと思ってこの特集を企画しました。

今回私も、合唱団の皆さんと一緒に『しあわせ運べるように』を10年ぶりに歌いました。改めて感じたのは、経験した人・していない人、それぞれが震災について考え、伝えていくことで、風化をさせてはいけないということです。
実際に自分が生まれ育った街で、国で、甚大な震災があったということを忘れず、後世に伝え続けていく必要があると強く思いました。私も引き続き、阪神・淡路大震災、東日本大震災について学んでいきたいと思います。