全国に散らばる住民へ
今野幸四郎さん「毎晩浪江の方向を見て、寝るのさ。(避難先の)この近辺、みんないい人がいるんだけども、夢は見ないんだよ。みんな津島の人なんだよ。いま言った亡くなった人な」
本宮市に避難している今野幸四郎さん(88)。赤宇木で、酪農を営んでいました。酪農は、邦彦さんの父、孟信さんから学んだといいます。孟信さんのもとには酪農を志す人たちが集い、家の屋号から「中平学校」と呼ばれていました。
今野幸四郎さん「やっぱり牛飼っていい成績を残して、そういう面からいくと『俺の方が優等生だ』って論じたときもあったけどな。ははは」

ふるさとへの帰還を願い、多くの住民が通る国道沿いに桜の木を植え、自宅や地域の手入れも続けてきた幸四郎さん。ふるさとには、人一倍、強い思い入れがあります。
今野幸四郎さん「何ページかは読んだ。今13年経っても帰れないという思いは、誠に残念だなと思ってんのさ」
全国に散らばる住民に届けられた赤宇木の記録誌。茨城県に避難している関場健治さんにも、届けられました。
関場健治さん「本当に長い時間をかけて作っていただいたので、それは感謝して…孫とかにもこういうことなんだよっていうことを伝えていきたいなと思って」
四季の中で好きだったのは、春と夏でした。
関場健治さん「風も何か優しい風が吹いて、それは気持ちの問題なんだろうけど、なんか落ち着きますね、やっぱり。自分が生まれ育ったところは特別なんでしょうね」

県外の避難先での近所づきあいは疎遠だといい、濃密な交流があった赤宇木での暮らしを思い返しています。
関場健治さん「子どもなんかもみんな周りの人たちが育ててくれたような感じで」
こうしたエピソードは、住民の心に強く残っています。
今野義人さん「子どもたちは自分が育てたんじゃなくて、隣近所の人たちに育てられたんだという感覚があったみたいで、それは、すばらしいことだなって」