一目千本桜の命を繋ぐのは・・・

樹木医 尾形政幸さん:
「どこというところではなく、結構ぽつぽつと空いてますね。この辺も空いてますし、この辺も」

植樹から47年後、1970年に作られた開治郎のサクラの分布図です。開治郎が1200本植えたサクラは、護岸の開発で伐採が行われたうえ、自然に枯れるなどして、およそ430本にまで数を減らしていました。白石川沿いには古木の切り株が至るところに残っています。

樹木医 尾形政幸さん:
「昭和45年以降、昭和50年代に、柴田町も含めて盛んに捕植されたと聞いている。先人たちの賜物で、ここまで桜並木が復活したということ」

3月20日、柴田農林高校の生徒たちが剪定作業を行いました。枝が密集して花が咲かなくなるテングス病から木を守るための大切な作業です。

生徒:
「来年も再来年もずっと来てもらえるような感じにしたい」

この作業は、90年以上に渡って続いてきた伝統行事です。地元住民によるごみ拾いも続けられています。

一目千本桜の100年は地元の人たちが支え続けた100年でもありました。

樹木医 尾形政幸さん:
「どうしてもサクラは寿命があります。これは仕方がないんだけども、とにかく寿命があっても、私の出来るだけのことはしっかりやって次の世代に引き継ぎたい」