■キリシタンを容認、伊達政宗の「腹の据わり方はすごい」

サン・ファン館・平川新館長:
「伊達領は日本の中で一番最後までキリシタンが許されていた。貿易をやるにはキリスト教徒を弾圧していると船は来てくれない」


政宗には当初、外国人宣教師に布教を許す引き換えに伊達領内に国際貿易港を作る野心があったといいます。そのためサン・ファン・バウティスタ号を建造。日本初のヨーロッパへの通商外交団=慶長遣欧使節団として家臣の支倉常長らを派遣します。


サン・ファン館・平川新館長:
「現代用語で言えば『布教特区』このアイデアは政宗が家康に提案した。我が領だけはキリスト教の布教を認めろと家康に駆けあった政宗の腹の据わり方はすごい」


しかし、7年にわたる旅の末、使節団の交渉は実りませんでした。